岩佐寿弥
表示
いわさ ひさや 岩佐 寿弥 | |
---|---|
生年月日 | 1934年10月29日 |
没年月日 | 2013年5月4日(78歳没) |
出生地 | 日本 奈良県奈良市 |
死没地 | 日本 宮城県柴田郡大河原町 |
職業 | 映画監督 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1959年 - 2012年 |
岩佐 寿弥(いわさ ひさや、1934年10月29日 - 2013年5月4日)は、日本のドキュメンタリー映画監督である。
1959年に岩波映画に入社、小川紳介や土本典昭、黒木和雄らとともに映画研究会「青の会」を結成。1964年にフリーとなり、『ねじ式映画 私は女優?』(1968年)や『眠れ蜜』(1976年)などの実験的なドキュメンタリーを撮り始める[1]。晩年にチベットに関心を持ち始め、チベット難民の青年を描く『オロ』(2012年)などを監督。
遺作となった『オロ』の上映のために宮城県を訪問した際、丸森町の宿泊先の階段から転落して頭部を強打し[2]、大河原町の病院で脳内出血のため死去[3]。78歳。
フィルモグラフィー
[編集]映画
[編集]- 『とべない沈黙』(1966年) - 脚本
- 『ねじ式映画 私は女優?』(1969年) - 監督
- 『叛軍No.4』(1972年) - 監督
- 『眠れ蜜』(1976年) - 監督、編集
- 『モゥモ チェンガ』(2002年) - 監督
- 『チベット2002 ダラムサラより』(2002年) - 監督
- 『オロ』(2012年) - 監督
テレビ
[編集]- 『京都幻想』(1985年) - 監督
- 『奈良幻想』(1987年) - 監督
- 『プチト・アナコ ロダンが愛した旅芸人花子』(1995年) - 監督
- 『いっちょんわからんやろ 変身の魔術師・麗子クルック』(1996年) - 監督
書籍
[編集]- 『あの夏、少年はいた』(2005年) 川口汐子, 岩佐寿弥 共著 れんが書房新社
出演
[編集]- ハイビジョン特集 「あの夏〜60年目の恋文〜」(2006年8月8日、 NHKデジタル衛星ハイビジョン)[4]
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ "ドキュメンタリー映画作家の岩佐寿弥氏死去". 産経ニュース. 2013年5月5日. 2013年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月6日閲覧。
- ^ 訃報:岩佐寿弥さん78歳=映画監督 毎日新聞 2013年5月5日
- ^ 岩佐寿弥氏死去(ドキュメンタリー映画作家) 時事ドットコム 2013年5月5日
- ^ "プレミアムカフェ選 あの夏〜60年目の恋文〜(2006年)60年後の奇跡の再会". NHK. 2021年9月22日. 2021年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月17日閲覧。
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 岩佐寿弥 - 日本映画データベース
- Hisaya Iwasa - IMDb
- 【ドキュメンタリストの眼④】 岩佐寿弥インタビュー(前編) - NeoNeo
- 【ドキュメンタリストの眼⑤】 岩佐寿弥インタビュー(後編) - NeoNeo