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岡田機外

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岡田 機外(おかだ きがい、明治6年(1873年5月15日 - 昭和24年(1949年)5月[1])は、日本俳人。本名は鉄蔵。

略歴

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鳥取県法美郡宇倍野村奥谷(現鳥取市国府町奥谷)に、秋田治三郎の二男として生まれる。

明治20年(1887年)、気多郡鷲峰村(現鳥取市鹿野町鷲峰)の岡田権九郎の養子となる。

明治21年(1888年)から俳句を始め、明治24年(1891年)に俳誌「鹿野苑」を創刊。明治25年(1892年)には上京し、阿心庵永機に師事して華峰庵機外と号した。

明治27年(1894年)に立机を許され、その後、俳誌「稲葉の光」を創刊したり、鷲峰吟社を主催するなど、数多くの俳誌の選者として全国的に活躍した。また、二一会、さくら会、吹雪会などのグループを指導し、その門人は3,000人といわれた。

昭和24年(1949年)死去。77歳。

脚注

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  1. ^ 『国府町誌』国府町、1987年、p.1397-1398

参考資料

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  • 鳥取県大百科事典(新日本海新聞社)
  • 鳥取市人物誌 きらめく120人(鳥取市)