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岡田 佐平治(おかだ さへいじ、文化9年7月10日(1812年8月16日) - 明治11年(1878年)3月3日)は、幕末-明治時代の農業指導者[1]、報徳運動家[2]。名は清忠[1]。字は至誠[2]。号は無息軒[1]。
遠江国佐野郡倉真村(現:静岡県掛川市)の豪農[2]。15歳で家を継ぐ[1]。二宮尊徳の報徳思想を安居院庄七から学び感銘し、嘉永元年(1848年)居村に牛岡組報徳社を結社[1][2]。長男良一郎と共に領内の荒地開墾、窮民救済に尽力した[2]。明治8年(1875年)遠江国報徳社を設立し、社長となる[2]。
大正7年(1918年)、従五位を追贈された[3]。