岡潤一郎
岡潤一郎 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道様似郡様似町 |
生年月日 | 1968年12月7日 |
死没 | 1993年2月16日(24歳没) |
血液型 | B型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 | 栗東・安藤正敏(1988年 - 1993年) |
初免許年 | 1988年 |
騎手引退日 | 1993年(2月15日騎手免許抹消) |
重賞勝利 | 5勝 |
G1級勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 2177戦225勝 |
岡 潤一郎(おか じゅんいちろう、1968年12月7日 - 1993年2月16日)は日本中央競馬会の元騎手。
来歴
[編集]北海道浦河高等学校を中途退学後に競馬学校に入学。1988年に栗東トレーニングセンターの安藤正敏厩舎所属の騎手としてデビュー。同期にはダイタクヘリオスの主戦騎手だった岸滋彦[注釈 1]や内田浩一らがいた。3月5日の阪神競馬第2競走のダイタクゲニーで初騎乗(7着)。3月20日の阪神競馬第12競走のトーヨーシンゲキで初勝利(17戦目)。同年に44勝を挙げJRA賞最優秀新人賞を獲得した。
翌1989年も46勝を挙げるなど活躍。この年の6月18日の札幌競馬で5連続騎乗勝利を挙げた[注釈 2]。これは2005年11月5日に横山典弘が6連続騎乗勝利を挙げるまでJRA記録として残っていた[注釈 3]。
1990年、ユートジョージに騎乗したNHK杯で初重賞制覇。また同年の宝塚記念ではオグリキャップに騎乗したが2着。翌1991年リンデンリリーでエリザベス女王杯を制し初めてのGIタイトルを獲得。しかしゴール入線後に馬が故障し、愛馬のいない中での表彰式となった。また、結果的にはこれが生涯唯一のGI勝利ともなった。
1993年1月30日の京都競馬第7競走4歳新馬戦(芝2000m)でオギジーニアスに騎乗。4コーナーで同馬が左後脚に故障(予後不良診断で安楽死処分)を発生し、バランスを崩して馬が転倒するとともに落馬した。その転落の際にヘルメットがずれ、ヘルメットのない頭部を後続のシリウスギンガの脚が直撃した。
救急搬送されたものの、外傷性くも膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷、脳内出血により意識不明の重体に陥る。その後肺炎を併発して39度の高熱を発し、2月16日、12時57分に死去した。24歳没。
中央競馬における競走中の落馬による殉職事故は、1992年9月19日の中山競馬第11競走で落馬し、5日後の同月24日に死亡した玉ノ井健志(20歳没)の事例以来で、岡はそれに続く18人目の殉職者となった[注釈 4]。告別式は競馬ファンにも開放され、多数の弔問者が訪れていた。
落馬事故の数日前に東海テレビで放送された『チャレンジ!名古屋競馬』という地方競馬の情報番組で名古屋競馬場に遠征するJRA騎手として受けたインタビューが生前最後の映像となった[注釈 5]。
わずか5年余りの騎手生活での通算勝利数が225勝(年平均約45勝)に上り、今日でも「武豊のライバルに成り得る騎手であった」と一部で評価されている[誰によって?]。安藤厩舎に所属した川島信二は岡の死後、「彼のような騎手になれ」と安藤から岡の形見のムチを託され、岡のムチを使って初勝利し、現在はお守りとして所有している。
1994年4月25日、競馬学校同期生の菊沢隆徳が結婚式[注釈 6]を挙げた。その際、招かれた騎手達の席の中には、前年に亡くなった岡の席が設けられていた。
戦績
[編集]出典は特に明記がなければnetkeiba.com[1]より。
- 通算成績:2177戦225勝(うち重賞5勝)
- 初騎乗:1988年3月5日・阪神2R・ダイタクゲニー(7着)
- 初勝利:1988年3月20日・阪神12R・トーヨーシンゲキ
- 重賞勝利
- G1
- G2
- 1990年5月6日:NHK杯(ユートジョージ)
- 1990年11月10日:デイリー杯3歳ステークス(ノーザンドライバー)
- 1991年10月20日:関西テレビ放送賞ローズステークス(リンデンリリー)
- G3
- 1991年3月3日:ペガサスステークス(ノーザンドライバー)
年度 | 平地競走 | ||||||
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1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 | |
1988年 | 44 | 41 | 45 | 399 | .110 | .213 | .324 |
1989年 | 46 | 47 | 41 | 461 | .100 | .202 | .289 |
1990年 | 43 | 42 | 49 | 407 | .106 | .209 | .327 |
1991年 | 46 | 35 | 51 | 422 | .109 | .192 | .312 |
1992年 | 46 | 48 | 48 | 453 | .102 | .208 | .313 |
1993年 | 0 | 6 | 0 | 35 | .000 | .171 | .171 |
通算成績 | 225 | 219 | 234 | 2177 | .103 | .204 | .311 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 岸もデビューした年に36勝を挙げている。
- ^ この時に母が単勝馬券を買い続けている。しかしながらこれは応援馬券であり、中には配当がかなりついたものもあったが、記念として保存したため換金されなかった。
- ^ 5連続騎乗勝利タイとしては武豊が2005年9月25日の阪神競馬で記録。
- ^ 2004年に竹本貴志が障害競走で、2024年に藤岡康太が平地競走での落馬事故で死亡し、2024年4月の時点で殉職者数は20人に増えている。また藤岡と同時期にNAR高知競馬の塚本雄大や、オーストラリア競馬でイタリア出身のステファノ・ケルキも落馬負傷後に殉職している。
- ^ 結局遠征は中止になった。
- ^ 菊沢の夫人は横山賀一と横山典弘の妹である。
出典
[編集]- ^ “岡潤一郎のプロフィール”. netkeiba.com. 2024年1月6日閲覧。
- ^ “JRA賞 バックナンバー JRA”. jra.jp. 日本中央競馬会. 2024年1月6日閲覧。
- ^ “岡潤一郎 の達成記録”. db.netkeiba.com. 2024年1月6日閲覧。