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岡本一光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡本 一光
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府藤井寺市
生年月日 (1951-11-04) 1951年11月4日(72歳)
身長
体重
180 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手 外野手 一塁手
プロ入り 1969年 ドラフト4位
初出場 1974年9月23日
最終出場 1982年6月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岡本 一光(おかもと かずみつ、1951年11月4日 - )は、大阪府[1] 出身の元プロ野球選手投手外野手一塁手)。左投左打。

来歴・人物

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大阪の興國高校では、1968年に1年上のエース丸山朗を擁し、2年生ながら四番打者、一塁手として春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では1回戦で仙台育英高に9回サヨナラ負けを喫した[2]夏の甲子園は決勝まで勝ち進み、丸山が静岡商新浦壽夫との投げ合いを1-0で制し全国制覇を果たした[3]。丸山以外の1年上のチームメイトには山田敏彦益川満育がいた。翌年は夏の甲子園大阪府予選の準々決勝で明星高に敗れ、甲子園には出場できなかった。

1969年のプロ野球ドラフト会議で、阪急ブレーブスから7位指名を受け、入団[1]。入団1年目で球速を買われ投手に転向するが、制球力に課題を残し二軍暮らしが続く。1975年から野手に再転向、1977年ウエスタン・リーグで打点王を獲得[1]1979年は開幕から一軍で起用され、主に右翼手として27試合に先発出場。同年5月17日から19日にかけ、3試合連続本塁打を記録する。翌年も38試合に出場するが、打撃成績は低迷。その後は出場機会が減り、1982年限りで現役を引退した[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1974 阪急 3 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .333 .000 .333
1975 9 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1976 28 19 18 5 6 2 0 0 8 1 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .333 .368 .444 .813
1977 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1979 64 113 97 13 23 3 0 4 38 10 3 1 0 1 15 0 0 18 4 .237 .336 .392 .728
1980 38 27 26 3 4 1 0 2 11 4 0 0 0 0 1 0 0 7 0 .154 .185 .423 .608
1982 5 2 2 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500 .500 .500 1.000
通算:7年 148 166 147 21 34 6 0 6 58 15 4 1 0 1 18 0 0 32 4 .231 .313 .395 .708

記録

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背番号

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  • 67 (1970年 - 1975年)
  • 31 (1976年 - 1982年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、119ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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