岡崎天満宮
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岡崎天満宮 | |
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所在地 | 愛知県岡崎市中町北野1 |
位置 | 北緯34度57分22.5秒 東経137度10分47.3秒 / 北緯34.956250度 東経137.179806度座標: 北緯34度57分22.5秒 東経137度10分47.3秒 / 北緯34.956250度 東経137.179806度 |
主祭神 |
菅原道真公 道臣命 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 建保5年(1217年) |
例祭 | 9月25日 |
岡崎天満宮(おかざきてんまんぐう)は、愛知県岡崎市中町にある天満宮。
概要
[編集]通称:天満天神、伝馬天神(てんまてんじん)ともいう。
神社本庁包括下(愛知県神社庁岡崎支部管内)の神社で、旧社格は郷社。毎年9月23日から26日に行われる例大祭は「天満天神祭」とも呼ばれ、能見神明宮大祭(5月)、菅生神社の大祭(7月、8月)とともに岡崎三大祭の一つに数えられている[1][2][3]。境内の梅の花も有名で、岡崎観光きらり百選に選ばれている。
由緒
[編集]社伝によれば、建保5年(1217年)8月23日、総持尼寺の鬼門除けとして、道臣命(みちおみのみこと)を勧請し、北野庄(現当神社鎮座地)に天神社を建立した。当時は伴天神や弓弦天神と称された。
元禄3年(1690年)、菅原道真を合祀して岡崎天満宮に改められた。社務は総持尼寺が掌握していたが、明治維新後の神仏分離令により分離された。
年表
[編集]- 1217年(建保5年)8月23日 - 天神社として建立。
- 1690年(元禄3年) - 菅原道真公を合祀し、社名を「岡崎天満宮」と改称する。
- 1872年(明治5年)9月18日 - 郷社に列格。
- 1907年(明治40年)10月26日 - 神饌幣帛料供進神社に指定される。
- 1945年(昭和20年)7月20日 - 岡崎空襲により、神楽殿以外の社殿を悉く全焼する。
- 1946年(昭和21年)9月25日 - 本殿(仮殿)を新築、神楽殿を移転修復し拝殿とする。
- 1952年(昭和27年)11月24日 - 宗教法人法により、「宗教法人岡崎天満宮」を設立。
- 1958年(昭和33年)9月23日 - 本殿造営、遷座祭を齋行。
- 1970年(昭和45年)3月25日 - 幣殿・拝殿・神饌所を新築。
ギャラリー
[編集]祭事
[編集]9月23日から9月26日にかけて行われる例大祭は、両町、中大門、中天神、東中の4町のみ長持ち唄を歌いながら天満宮まで練り込み行列する。名物であった大規模な奉納花火は規模が縮小され、現在は中大門のみが境内で手筒花火を上げている[3]。
- 上半期
- 1月1日 - 元旦祭
- 1月25日 - 初天神祭
- 2月3日 - 節分祭(豆撒き)
- (2月中旬 - 3月上旬) - 梅まつり
- 3月25日 - 春季大祭
- 4月3日 - 御鍬社祭
- 5月25日 - 英霊神社祭
- 6月29日 - 6月30日 - 夏越大祓式(茅の輪くぐり神事)
- 下半期
- 毎月の祭事
- 毎月25日 - 月次祭
氏子区域
[編集]岡崎市内の梅園町1丁目、梅園町2丁目、梅園町3丁目、門前町、久右ヱ門町、花崗町、伝馬通1丁目、伝馬通2丁目、伝馬通3丁目、伝馬通4丁目、伝馬通5丁目、十王町、曙町1丁目、東曙町、西中町、中本町、両町、中町4丁目、中町5丁目、中町7丁目、東中町、中大門町、中天神町が氏子区域である。
アクセス
[編集]- 鉄道
- 路線バス
脚注
[編集]- ^ “岡崎天満宮 天満天神祭”. 岡崎おでかけナビ. 岡崎市観光協会. 2022年1月5日閲覧。
- ^ “岡崎で「能見神明宮大祭」- 女児ら舞を披露、山車8台練り歩く”. 岡崎経済新聞. (2013年5月13日) 2015年5月12日閲覧。
- ^ a b “『岡崎市歴史的風致維持向上計画』第2章 04 岡崎城下の三大祭りにみる歴史的風致”. 岡崎市ホームページ. p. 181-195 (2023年7月14日). 2024年1月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、95頁。