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山野孝義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山野 孝義
名前
カタカナ ヤマノ タカヨシ
ラテン文字 YAMANO Takayoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1955-04-05) 1955年4月5日(69歳)
出身地 大阪府
身長 175cm[1]
体重 72kg[1]
選手情報
ポジション DF
ユース
1971-1973 日本の旗 北陽高校
1974-1977 日本の旗 大阪商業大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1978-1984 日本の旗 ヤンマー 125 (4)
1985-1991 日本の旗 大阪ガス
通算 125 (4)
代表歴
1979-1981 日本の旗 日本 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山野 孝義(やまの たかよし、1955年4月5日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者、解説者。

略歴

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北陽高等学校では1973年度に全国高校サッカー優勝。 大阪商業大学卒業後、1978年ヤンマー入社。この年サッカー日本代表に選出(代表Aマッチ出場2試合)。1980年には日本サッカーリーグ(JSL)優勝。JSL1部通算成績は125試合4得点3アシスト[2]

1984年ヤンマーを退社、大阪ガスサッカー部で選手としてプレーするかたわら同部コーチにも就任。その後出身校である大商大のコーチなどを務め、1999年にはS級ライセンスを取得、長崎県立国見高等学校サッカー部コーチに就任。

2001年には東京ヴェルディ1969のコーチに就任するが、成績不振の責任を取ってシーズン途中でサテライト監督に降格、1年限りで退任。再び国見高校に戻り、2003年インターハイまでコーチを務める。

Jリーグ開幕後は、NHK(主に関西以西)、KBS京都スカパー!などで解説を務める。2005年ガンバ大阪Jリーグで優勝した際には、NHK大阪放送局の特番で選手・監督へのインタビュアーを担当した。全国ネットでは言葉は標準語にしているが、関西弁のイントネーションがかなり強い。関西ローカルの番組では関西弁でしゃべっている。よく選手のプレーを誉め、ほとんど批判をすることはない、優しい解説者の一人である。

2020年からは、大阪市北区にある柔道整復師・鍼灸師育成の専門学校近畿医療専門学校の特別顧問に就任。


所属クラブ

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1978 ヤンマー 23 JSL1部 17
1979 2 18
1980 18
1981 18 0
1982 18 1
1983 18 0
1984 18 2 4 1 3 0 25 3
※この間不明
1986-87 大阪ガス JSL2部 17 3 1 0 2 0 20 3
1987-88 -
1988-89 18 0 0 0 - 18 0
1989-90 15 27 0 0 0
1990-91 23 0 0 0 - 23 0
通算 日本 JSL1部 125 4
日本 JSL2部
総通算

※1985年の詳細不明

JSL東西対抗戦 3回出場(1980年、1981年、1982年)

代表歴

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試合数

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  • ユース代表 4試合0得点(1975/76)[3]
  • 日本代表 国際Aマッチ 2試合0得点(1980)
  • 日本代表初出場(国際Aマッチ):1980年6月11日 対中国戦(広州)
  • 日本代表初出場:1979年8月13日 対ウーチ・ウラジオストク(ソ連)戦(ウラジオストク)


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1979 0 0 2 0 2 0
1980 2 0 2 0 4 0
1981 0 0 1 0 1 0
通算 2 0 5 0 7 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1980年06月11日 中華人民共和国の旗広州  中華人民共和国 ●0-1 渡辺正 広州国際サッカー大会
2. 1980年06月18日 中華人民共和国の旗広州  香港 ○2-0 広州国際サッカー大会

出演

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参考文献

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脚注

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  1. ^ a b 『1990-1991JSLイヤーブック』p83
  2. ^ 『日本サッカーリーグ全史』 日本プロサッカーリーグ、1993年、245頁。
  3. ^ 『日本代表公式記録集2008』日本サッカー協会、2008年、617頁。

関連項目

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近畿医療専門学校

外部リンク

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