山本斉
2014年4月27日 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市東住吉区 |
生年月日 | 1989年7月10日(35歳) |
身長 体重 |
180 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2007年 高校生ドラフト3巡目 |
初出場 | 2009年10月11日 |
最終出場 | 2011年10月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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山本 斉(やまもと ひとし、1989年7月10日 - )は、大阪府大阪市東住吉区出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]アマチュア時代
[編集]1996年、大阪市立矢田西小学校1年生の時に野球を始めた[1][2]。1999年には小学校4年生ながら、6年生に混じってボーイズリーグの名門「ジュニアホークス」でプレー[3]。2004年の大阪市立矢田西中学校3年生の時にジュニアホークスのエースとして全国大会でベスト4に入った[1][3]。中学校3年間はサッカー部に所属しており、高校進学にあたってはどちらを続けるか迷っていた[2]。
PL学園や中京高等学校などの強豪からも誘いを受けたが、親元を離れた環境で精神的にも成長したいと考え[3]2005年に酒田南高等学校に越境入学した。この野球留学の直前、クラスメイト全員から言葉を送られ、感動したという[4]。1年の夏から早くも頭角を現す[3]。当時から140km/hを超す速球で活躍。山形県大会決勝では、8回2失点の好投で第87回全国高等学校野球選手権大会出場を果たした[5]。当時は金本明博(元中日)の控えであったが、3回戦の対宇部商戦で登板し、3回2/3で3失点を記録している。この年の秋から腰椎分離症で苦しんでいたが、2006年には治療が功を奏して完治し、復帰した[5]。秋には145km/hを投げ込むまでに成長し、注目を集めるようになる。
2007年、3年夏の山形県大会では、準決勝の対日大山形戦において0-1で惜しくも敗れたものの、延長12回149球で、4安打14奪三振の快投を見せた[5]。当初は高校一杯で野球をやめるつもりだったが、監督の西原忠善から「プロに行け」という助言を受け、プロ志望届を提出する[5]。
10月3日の高校生ドラフトで、ヤクルトから3巡目で指名を受けた。他に中日ドラゴンズ、阪神タイガース、横浜ベイスターズ、読売ジャイアンツ、福岡ソフトバンクホークス、千葉ロッテマリーンズの6球団からも調査書が届いていた[5]。ヤクルト編成部は、抽選が見込まれた佐藤由規を外した場合、1巡目で山本を指名する事をコメントしていた。そのためドラフト直後には「ダブル1位(指名級)」と興奮した談話を出している。
11月6日に推定契約金5000万円年俸600万円で仮契約を済ませ[6]、12月6日に入団が発表された。入団会見で、チームの印象について「ヤクルトが飲み放題と聞いています。乳酸菌をたくさんとって頑張りたい」と発言し笑いを誘っている。
実兄は中京高等学校野球部に所属していた捕手である[3]。後にプロ入りする榊原諒、中川裕貴、城所龍磨らと共に活躍し2002年の明治神宮野球大会で全国制覇を成し遂げている。
プロ入り後
[編集]入寮の際にぬいぐるみを持ち込んで注目を集めた[7]。春季キャンプ・開幕は二軍スタート。右肩痛で出遅れ[8]、6月に予定していた初登板はならなかったが、7月12日対読売戦の中継ぎでイースタン・リーグ初登板[2]。8月16日にはイースタン・リーグ初先発を果たした。8月23日の2回目の先発登板の際は、一軍監督の高田繁も視察に訪れ、その試合で143km/hを記録した直球に関し、「まっすぐに力がある」、「経験を積めば楽しみ」と評価を受けた[8]。際立った結果を残すことは出来なかったが、ファームで7試合に登板し、フェニックス・リーグでも先発を任された。秋には一軍メンバーに選ばれ、松山の秋季キャンプに参加している。
前年に続き、春季キャンプは二軍スタートとなったが、課題の変化球の制球力が増したことで練習試合で好投[9]。2月13日に一軍に合流した。オープン戦にも登板し、2試合で3回を無失点に抑えている。開幕は再び二軍で迎えたが、イースタン・リーグでは先発を任され防御率3点台の好投を続ける。7月31日に橋本義隆の肘痛による登録抹消を受け、初の一軍登録を受けたが[10]、登板機会のないまま8月5日に登録を抹消された[11]。10月11日に再び一軍に登録され、対中日ドラゴンズ最終戦でプロ入り初登板初先発し、6回を被安打5(被本塁打1)、奪三振3、与四球2の3失点(勝敗無し)という結果を残した。
春季キャンプは自身初の一軍スタートとなった[12]。紅白戦でも好投し、手薄な先発候補として評価が高まっていたものの、右肘の張りで登板予定だった2月23日の試合を回避し、ファームに合流。リハビリに時間を費やすこととなった。6月13日にファームで実戦登板したものの、調子が上がらず一軍登録は8月29日にずれこんだ。当日の対阪神タイガース戦で先発登板を行なったが、2回4失点と結果を残すことができずに再び二軍に降格となった。二軍でも10試合の登板で1勝2敗の結果に終わっている。
4月22日の対広島東洋カープ戦で先発登板し、7回を被安打2、失点0という内容で勝利投手となり、プロ入り4年目にして初勝利をマークした。
5月14日に、群馬県館林市の病院で、右肘内側側副靱帯の再建手術を行った[13]。
10月1日に球団から戦力外通告を受ける[14]。12月2日、自由契約公示された[15]。
引退後
[編集]2015年から、元ヤクルトの丸山完二が総監督を務める東京神宮シニアの投手コーチに就任した[16]。また2019年には千葉県立銚子商業高等学校の臨時投手コーチを務めた[17]。
選手としての特徴
[編集]自己最速148km/h[18]、常時140km/h前後の速球と、切れの良いスライダーを持つ本格派投手である。球種は他にカーブ・カットボールなども投じる。頻度は少ないがシュート・チェンジアップ・フォークも投げられる。クセのない綺麗なフォームをしている。目指すタイプは斉藤和巳である[2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2009 | ヤクルト | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 25 | 6.0 | 5 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | 4.50 | 1.17 |
2010 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 12 | 2.0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 18.00 | 3.50 | |
2011 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | .143 | 253 | 55.0 | 59 | 5 | 30 | 1 | 5 | 36 | 3 | 0 | 28 | 26 | 4.25 | 1.62 | |
通算:3年 | 14 | 14 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | .125 | 290 | 63.0 | 71 | 8 | 32 | 1 | 5 | 40 | 3 | 0 | 35 | 33 | 4.71 | 1.63 |
記録
[編集]- 投手記録
- 初登板・初先発:2009年10月11日、対中日ドラゴンズ24回戦(明治神宮野球場)、6回3失点
- 初奪三振:同上、1回表に荒木雅博から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2011年4月22日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回無失点
- 打撃記録
- 初安打・初打点:2011年7月2日、対広島東洋カープ7回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回表に篠田純平から中前先制適時打
背番号
[編集]- 63 (2008年 - 2014年)
脚注
[編集]- ^ a b スポニチ“2007年高校生ドラフト指名者”. 2007年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月1日閲覧。
- ^ a b c d 「Hope's Interview 成長著しい未来の先発候補 山本 斉」『週刊ベースボール』第64巻第6号(ベースボールマガジン社、2009年2月21日)。
- ^ a b c d e asahi.com、2006年6月14日“〈山形を見つめる8〉野球留学 弱点克服へ親元離れ”. 2009年8月1日閲覧。
- ^ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト“新人選手の素顔~山本投手~”. 2010年1月24日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c d e ニッカンスポーツ東北、2007年9月29日12時36分“坂田南の山本斉、決意一転プロに挑戦”. 2008年8月24日閲覧。
- ^ 読売オンライン、2007年11月7日“ヤクルト、山本斉投手と仮契約”. 2009年8月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ スポニチ、2008年1月8日“山本「キティちゃん」いないと眠れない”. 2008年8月24日閲覧。
- ^ a b サンスポ、2008年8月24日05:06“由規だけじゃない!ヤクルトのルーキー山本”. 2008年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月24日閲覧。
- ^ 球団公式ウェブサイト2009年2月21日“春季キャンプ特集◆伸び盛りのホープ! 2年目・山本投手が赤丸急上昇!!”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。[リンク切れ]
- ^ 球団公式ウェブサイト2009年7月31日“2年目の山本投手、プロ初の一軍登録!”. 2009年8月1日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 球団公式ウェブサイト2009年8月5日“一場投手、今季3度目の一軍復帰!”. 2009年8月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト“2010年春季キャンプ参加メンバー”. 2009年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月24日閲覧。
- ^ SANSPO.COM“ヤクルト・山本斉、再建手術で全治1年”. 2012年5月15日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 来季の契約についてヤクルト球団公式サイト2014年10月1日配信
- ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
- ^ “コーチングスタッフ”. 東京神宮シニア. 2021年3月13日閲覧。
- ^ “第589回 令和になっても習志野とのライバル対決を制し、甲子園へ 銚子商(千葉)【後編】”. 高校野球ドットコム (2019年7月16日). 2021年3月13日閲覧。
- ^ ニッカンスポーツ、河野祥一郎「今週のイチ押し!」2009年2月23日“09年の若手注目選手を紹介します!”. 2009年8月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 山本斉 - NPB.jp 日本野球機構