山本まつよ
表示
山本 まつよ(やまもと まつよ、1923年[1] - 2021年11月27日[2] )は、日本の翻訳家[1]、児童文学研究家。
略歴
[編集]山陽新聞の記者として働いていた1949年に、アメリカの招待で新聞社の代表としてアメリカに派遣され、新聞事情を学ぶ[3]。翌年、ミズーリ大学でジャーナリズムを学び、帰国後、1962年までアジア財団日本支部に勤めた[3]。
石井桃子との出会いを機に、児童文学に関心を寄せ、「子ども文庫の会」を設立[4]。児童書の翻訳と、家庭文庫の普及に努めた[4]。みずからも「わかば文庫」を運営しながら、1980年創刊の『季刊 子どもと本』の刊行や、児童書に関するセミナーで、子どもの本を選ぶことの重要性を伝えた[4]。
1988年の「ちびくろ・さんぼ」の絶版に際しては、子ども不在の形で論争が行われたことなどに対して批判的な立場を取り[5]、1989年に、原著の主人公のとおりインドの子どもとした形で、新たな絵・装丁の『ブラック・サンボくん』を刊行した[6]。
アジア財団時代のフィリピン見学を契機に、その国の人や手仕事に関心を抱く[3]。1975年には『季刊 フィリピナス』を4号まで発行し[7][8]、その後もフィリピン関連文学を翻訳した。1970年代からフィリピンの布やかごの手仕事の蒐集を続け、コレクションを持った。
主な翻訳作品
[編集]児童文学
[編集]- 『三びき荒野を行く』(シーラ・バーンフォード、あかね書房) 1965 NDLJP:1656333
- 『ルーシーの家出』(キャサリン・ストー、子ども文庫の会) 1967
- 『ルーシーのぼうけん』(キャサリン・ストー、子ども文庫の会) 1967
- 『燃えるアッシュ・ロード』(アイバン・サウスオール、石井桃子共訳、中川宗弥絵、子ども文庫の会) 1968 NDLJP:1655154
- 『黒ネコの王子カーボネル』(バーバラ・スレイ、大社玲子絵、子ども文庫の会) 1980、のち岩波少年文庫
- 『ブラック・サンボくん』(ヘレン・バンナーマン、阪西明子絵、子ども文庫の会) 1989
- 『ギリシアの神々の物語』(ロジャー・ランスリン・グリーン、子ども文庫の会) 1996
- 『ラーマーヤナ』(エリザベス・シーガー、子ども文庫の会) 2006
- 『赤ぼうしちゃん』(グリム童話、マーレンカ・ステューピカ絵、子ども文庫の会) 2009
- 『ぼくはなにいろのネコ?』(ロジャー・デュボアザン、子ども文庫の会) 2018
フィリピン関係
[編集]- 『フィリピンのこころ』(メアリー・ラセリス・ホルンスタイナー編、文遊社) 1977
- 『仮面の群れ』(フランシスコ・ショニール・ホセ、めこん) 1984
- 『二つのヘソを持った女』(ニック・ホアキン、めこん) 1988
- 『民衆』上・下(フランシスコ・ショニール・ホセ、めこん) 1991
参考文献
[編集]- 「山本さん」『季刊 子どもと本』第168巻、子ども文庫の会、2022年1月、2-18頁。※子ども文庫の会主宰を引き継いだ青木祥子による略歴と、赤瀬圭子、曽我直子、川口義典、早瀬晋三、桑原晨、矢野温子、野中良枝、本山徳子、篠塚留美子による追悼文による特集。
脚注
[編集]- ^ a b c 『現代日本女性人名録』日外アソシエーツ、1996年、195頁。
- ^ 子どもと本 2022, p. 表紙
- ^ a b c 子どもと本 2022, p. 3
- ^ a b c 子どもと本 2022, p. 2
- ^ 山本まつよ「子どもとわたくしたちの問題 「ちびくろ・さんぼ」が絶版になった!」『季刊子どもと本』第37号、子ども文庫の会、1989年4月、41-45頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3472519/22
- ^ 「子ども文庫の会の新刊「ブラック・サンボくん」」『季刊子どもと本』第39号、子ども文庫の会、1989年10月、47頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3472521/25
- ^ 子どもと本 2022, pp. 10–11
- ^ “勁草書房創立70周年 社長にあれこれ聞いてみる:05”. 勁草書房 (2018年7月18日). 2022年6月19日閲覧。