山川吉太郎
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やまかわ きちたろう 山川 吉太郎 | |
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生誕 |
1877年3月15日 日本・滋賀県 |
死没 | 1934年4月22日(57歳没) |
職業 | 実業家、映画プロモーター、映画プロデューサー |
著名な実績 | 三友倶楽部の設立者であり、日本の映画草創期におけるプロモーターのひとり。 |
代表作 | 『籠の鳥』(1924年公開)[1] |
画像外部リンク | |
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肖像写真 (山川雅行 所蔵)[2] |
山川吉太郎(やまかわ きちたろう[3][4][5]、1877年(明治10年)3月15日[6][7][8] - 1934年(昭和9年)4月22日[9][10])は、日本の実業家である。日本の映画草創期に映画会社である三友倶楽部を設立し、大阪で活動写真館を開設し映画興行を行ったことで知られる。
関与した企業
[編集]- 三友倶楽部 (1909年設立) …… 山川が設立者。
- 東洋商会 (1913年設立) …… 山川が設立。翌年に天然色活動写真に合流した。
- 天然色活動写真 (1914年設立) …… 東京・小林喜三郎の常盤商会と大阪・山川吉太郎の東洋商会が協力して創立した、日本初のカラー映画製作会社である。
- 帝国キネマ (1920年設立)
- アシヤ映画製作所 …… 前身の帝国キネマ芦屋撮影所が源流。
- 福寶堂 (1910設立) …… 日活の源流企業の一つ。同社の大阪支店長を務めた。
脚注
[編集]- ^ “籠の鳥 (1924・松本英一)”. キネマ旬報社. 2024年5月24日閲覧。
- ^ “創業者 山川吉太郎・帝キネ”. 2024年5月24日閲覧。
- ^ 岡村紫峰「キネマ界の二明星」『活動写真雑誌』第2巻8月号、八展社、1920年、73頁。
- ^ 田中純一郎『日本の映画』ポプラ社〈少年産業博物館〉、1960年、42頁。
- ^ 「名作公開から7カ月後に悲劇が訪れた映画会社の記憶」『産経新聞』2020年12月5日。2024年10月26日閲覧。
- ^ 帝国興信所 編『関西業界人物大観』 第1集、帝国興信所、1926年、322頁。
- ^ 九官鳥「映画人国記」『キネマ週報』昭和7年10月7日号(第128号)、キネマ週報社、1932年、31頁。
- ^ 山川雅行「「帝キネ」100周年に向けて」『日本映画学会会報』(PDF)、第56号、日本映画学会、2019年3月25日、18面。2024年10月26日閲覧。
- ^ 「広告・法人登記」『官報』第2236号付録、内閣印刷局、1934年6月16日、11面。
- ^ 「白井松次郎翁を悩ました芦辺劇場事件物語②」『週刊 日本経済新報』昭和34年1月29日号(第12巻第4号、通巻382号)、日本経済新報社、1959年、49頁。
関連記事
[編集]外部リンク
[編集]- “山川吉太郎 わが町人物誌”. みなトコ✕みなとQ. 有限会社 大阪情報文化センター. 2024年5月24日閲覧。