山名義蕃
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永8年8月21日(1779年9月30日) |
死没 | 天保5年6月6日(1834年7月12日) |
改名 | 間部詮量(初名)、山名義蕃 |
戒名 | 徳源院殿真哲禅定大居士 |
墓所 | 兵庫県美方郡香美町村岡区村岡の法雲寺(坪谷御廟) |
官位 | 従五位主膳正 |
幕府 | 江戸幕府 交代寄合 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 但馬村岡領主 |
氏族 | 間部氏、山名氏 |
父母 | 間部詮茂、山名義方 |
兄弟 | 間部詮熙、輝、潔、義蕃、仙石久徳、豊、酒井忠固 |
妻 | 山名義方娘整 |
子 | 義処、義問、義寿、桂辰昭、義條、真龍、問審、義質、藤懸永成、金田房清、秀量、晴、信、豊 |
山名 義蕃(やまな よしあきら)は、江戸時代後期の交代寄合。但馬国村岡領主。
経歴
[編集]- 安永8年(1779年) - 越前国鯖江藩主・間部詮茂の四男として生まれた。初名は間部詮量。山名義方の婿養子となり、義蕃と改名した。1818年まで甥の間部詮勝の後見役を務めた。
- 文政4年(1821年) - 家督を相続。
- 天保元年(1830年)3月 - 領内の農民が越訴を起こした。
- 天保3年(1832年) - 武術稽古所を設立した。
- 天保5年(1834年) - 死去、享年56。