山口竹治郎
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山口 竹治郎(やまぐち たけじろう、明治12年(1879年)3月) -昭和38年(1963年)12月24日[1])は、日本の実業家、銀行家。大阪貯蓄銀行(株)頭取[2]、関西信託(株)監査役[2]、日本生命評議員、山口(資)理事[2]を歴任した。
人物像
[編集]兵庫県平民[3]。趣味は小鳥、盆栽、俳句[2]。宗教は真宗本願寺派[2]。兵庫県在籍[2]。
家族・親族
[編集]山口家
[編集]- 父・楢三郎[2]
- 『明治人名辞典Ⅱ 下巻』(底本・『日本現今人名辞典(明治三三年)』)やノ三十二によると、「やまくち、ならさぶろう 山口楢三郎 君は方今株式会社第百四十八銀行取締役にして又同大阪貯蓄銀行監査役及び無限責任山口銀行支店主任なり(所四九圓餘、大阪市東区伏見町)」
- 弟・保三郎[2]
- 男・隆一
- 男・挺二[2]
- 四男(山口フク養子[2])
関連
[編集]脚注
[編集]- ^ 読売新聞「山口竹治郎氏(日本生命評議員)死去」1963年12月26日付け朝刊15頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下ヤ一〇八
- ^ 『人事興信録. 7版』(大正14年)や七六
- ^ 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上イ九八
- ^ a b 『人事興信録』(昭和3年)オ一六七
- ^ a b c d 『第二十一版 人事興信録 下』(昭和36年)や七二
- ^ 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上コ一一三
- ^ 名取義一『政財界人の命運』東京北辰堂、1952