山内晋卿
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山内 晋卿(やまのうち しんきょう、旧名: 晋(すすむ)、1866年1月26日(慶応元年12月10日) - 1945年(昭和20年)9月9日)は、仏教学者、漢文学者、中国史学者。石見国(現島根県)生まれ。
浄土真宗本願寺派勧学、旧制第三高等学校(現京都大学)教授。定年後は、旧制福岡県立女子専門学校(現福岡女子大学)専任講師、旧制九州帝国大学専任講師等を歴任。
旧制三高の学校誌である『第三高等学校 神陵史』に名前が挙げられている。九州帝国大学の仏教青年会、浄土真宗本願寺派安居本講でも活躍した。島根県大田市にある浄土真宗本願寺派明恩寺第12世住職。
略歴
[編集]- 1865年 - 石見国大田(現・島根県大田市)の大家本郷浄土真宗本願寺派明恩寺で出生
- 1875年 - 宗門関連の島根県浜田楓川教校(楓川仏教中学校)及び本願寺大教校にて修学。素川教校教授、幼児時代より神童といわれ、本願寺より公的教育機関で修学せよとの指示あり。(1890年まで)
- 1893年 - 旧制第二高等中学校(現・東北大学)卒業
- 1896年 - 旧制帝国大学(現・東京大学)卒業
- 1897年 - 旧制第七高等学校造士館で教鞭を執る。(1899年まで)
- 1899年 - 旧制第三高等学校漢文学教授(1921年定年退職まで)
- 1923年 - 旧制福岡県立女子専門学校漢文学専任講師(1927年まで)
- 1924年 - 福岡県立中学修猷館嘱託教員(1925年まで)[1]
- 1927年 - 旧制九州帝国大学東洋史学専任講師(1937年まで)
浄土真宗学階暦他
[編集]- 1879年 - 浄土真宗本願寺派得度
- 1903年 - 浄土真宗本願寺派教師
- 1904年 - 明恩寺住職(1945年まで)
- 1908年 - 浄土真宗本願寺派司教
- 1939年 - 浄土真宗本願寺派勧学
- 1940年 - 浄土真宗本願寺派安居講習会本講。安居の本講取りまとめを行う。
- 1941年 - 浄土真宗本願寺派宗議寮員
叙勲歴
[編集]親戚
[編集]- 山内邦臣 - 養子、英米文学者・京都大学名誉教授・島根県大田市の浄土真宗本願寺派明恩寺第13世住職
- 姉崎純卿 - 義弟、奈良市浄土真宗本願寺派正覚寺第16世住職
- 三谷好憲 - 元京都産業大学教授、宗教哲学者
著書
[編集]- 『降誕の意義 家庭布教』(出雲寺松柏堂 1910年)
- 『仏教概論』(1912年)
- 『遠忌の記念』(興教書院 1912年)山内晋卿述 清水精一郎編
- 『支那仏教史の研究』(仏教大学出版部、1921年)NDLJP:959970
- 『高等漢文読本2』(若林春和堂、1922年)
- 『弘明集講義』(仏教大学出版部、1924年)
- 『支那近世民族信仰の復活』(六條学報、XXXX年)
- 『栖栖詩文存(栖栖文存)』(西濃印刷、1942年)
論文
[編集]- 『学会回顧』(顕真学報27、1940年)
- 『宗教界 7-1』(道教の経典、19XX年)
- 『第16回夏期講習会』(我、19XX年)
講演他
[編集]- 九州帝国大学仏教青年会 - ウェイバックマシン(2002年12月3日アーカイブ分)にて講演等の活動
- 『般若心経講話(自性について)(四重出体について) (唯識の哲学体系)(悟りについて)(業について)(支那南北朝時代の仏教について)等』(1934~1935年)
- 五山文學
- 五山文學全集の出版に関して輔導翼賛の勞をとり緒言する。[1]
- 中国(中华佛教百科全书 对“牟子理惑论”)
在日本,也有许多不同的议论。开头,山内晋卿认为是真的,他根据的是明清人的说法;总之,常盘大定认为是假的
脚注
[編集]- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館225年記念』(修猷館同窓会、2010年)全日制旧職員18頁