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尾上松緑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四ツ輪に抱き柏
藤輪に花菱

尾上 松綠(おのえ しょうろく、新字体:松緑)は、歌舞伎役者の名跡屋号音羽屋定紋は四ツ輪に抱き柏、替紋は藤輪に花菱。「松緑」は初代尾上松助の俳名に由来する。後に松助はこれを名跡とし、晩年の6年間「尾上松緑」を名乗った。

同名を名乗った映画俳優が1人いる。

歌舞伎俳優

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  • 初代 尾上松緑
    • 初代尾上菊五郎の門弟、1744–1815。父親は大坂祇園で小芝居の裏方をしていた徳次郎なる人物といわれるが、江戸生まれという説もありその出自については不詳。
    • 初代尾上松助 → 初代尾上松緑
  • 尾上松緑(尾上梅鶴)
    • 二代目尾上多見蔵の門人、のち中山百花の養子、生年不詳–1873。屋号は京極屋上方で活躍した尾上梅鶴が、三代目尾上菊五郎と名古屋で『東海道四谷怪談』の舞台を共にした際に梅鶴では菊五郎の相手に相応しくないとの事で「松緑」の名跡を借り受けて名乗る。しかし菊五郎の死後も名跡を変えず引き続きこれを名乗った。一部史料では六代目を名乗ったとあるが経緯は不明。名乗った経緯から尾上松緑の代々には数えられなかった。
    • 大谷徳二郎 → 中山徳二郎 → 尾上多女蔵 →中山兵太郎→ 尾上梅鶴 → 六代目尾上松録
  • 四代目 尾上松緑
    • 三代目の長男、1975– 。当代。
    • 二代目尾上左近 → 二代目尾上辰之助 → 四代目尾上松緑

映画俳優

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  • 尾上松緑
    • 本名牧野駒次郎、1895-没年不詳。大正末期からマキノ・プロダクション新興キネマなどに多く出演した。名乗った当時歌舞伎界に「尾上松緑」はおらず、名跡との関係は不明である。1935年に歌舞伎界で二代目が襲名しており、映画俳優として最後の活動となる1941年までの間、2人の松緑がいたことになる。
    • 尾上松右衛門 → 尾上章六 → 尾上松緑 → 清浦新八 → 尾上松緑