小野猛
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小野 猛(おの たけし、1890年(明治23年)4月18日[1] - 1962年(昭和37年)5月9日[2])は、日本の逓信官僚。
経歴
[編集]大分県に百津民次郎の二男として生まれ、小野薫の養子となった[1]。1914年(大正3年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した[1]。逓信書記・岡山郵便局長、逓信事務官、同書記官・管船局庶務課長、同海員課長、同監理課長、高等海員審判所審判官、熊本逓信局長、管船局長・高等海員審判所長、逓信次官を歴任した[1][3]。
1939年(昭和14年)に退官した後は、日本発送電株式会社副総裁、樺太石炭鉱業株式会社取締役、北海道石炭株式会社相談役、電気協会などを務めた[3]。その後、船舶運営会総裁に就任した[2]。
戦後、逓信次官と日本海運報国団長のため、公職追放となった[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十二年版』日本官界情報社、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
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