小野卓志
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基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Takashi ONO | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
原語表記 | おの たかし | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | 茨城県結城郡石下町(現・常総市) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1980年6月25日(44歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 181cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 90kg | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
階級 | 男子90kg級 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
段位 | 六段 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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小野 卓志(おの たかし、1980年6月25日 - )は、茨城県結城郡石下町(現・常総市)出身の柔道家。身長181cm。組み手は右組み。段位は六段。得意技は小外刈、内股[1]。
経歴・人物
[編集]弦巻中学校、桐蔭学園高等学校、筑波大学を経て学校法人了徳寺学園に就職した。2015年6月に了徳寺学園を退職すると、7月からは筑波大学の特任助教となった[2]。
5歳の時に父親が指導者を務める石下町体育協会柔道部で柔道を始めた[1][3]。アテネオリンピック100kg超級金メダリストである鈴木桂治とは同級生で、県内の大会などでは常に決勝を争っていた。小学校6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で鈴木とともに活躍して2位、個人戦でも3位になった[4]。
中学は上京して柔道私塾の講道学舎に入塾すると、弦巻中学に通うこととなった。しかし、同級生の中では一番弱かったために試合に出場させてもらえず、なおかつ生活面でも相撲部屋なみの厳しさだったためにあまり練習もできる状況ではなく、初めて挫折を味わうことになった。小学生時代のライバルだった鈴木は国士舘中学で活躍していたこともあって、なおのことその思いを強くした[3]。そんな中にあって、身長がほとんど伸びなかったために得意の内股だけでなく担ぎ技の練習をしておいたことが、後に活かされることになった[4]。
桐蔭学園高校に進むと中学の時とは異なり、思い切り練習ができるようになった。さらに身長も中学時代とは打って変わって伸びたために、柔道が日増しに良くなっていく実感を掴めた[3]。高校3年の時には全日本ジュニア81kg級で優勝して世界ジュニア代表にも選ばれた[4][5]。世界ジュニアでは3位だったが、中学入学以来全く口を利かなくなっていた100kg級代表の鈴木とも、講道学舎時代の同級生だった100kg超級代表の棟田康幸を通して約6年ぶりに言葉を交わして、小学生以来再び意気投合することにもなった[3]。
筑波大学に入学すると、2年の時から学生体重別で3連覇を達成した[6]。また、2年の時には世界学生で2位になった[1]。3年の時にはアジア選手権で3位、日本国際柔道大会では2位となった[1]。
2003年には了徳寺学園の職員となると、アジア選手権では再び3位だった[1]。その後も一定の活躍をするも、2004年の選抜体重別では準決勝で瀧本誠に技ありで敗れて3位にとどまり、アテネオリンピック代表にはなれなかった[1]。2005年には選抜体重別で初優勝すると、アジア選手権でも優勝した[1]。世界選手権では2回戦でウクライナのロマン・ゴンチュクに掬投で敗れるも、敗者復活戦を勝ち上がり3位となった[1]。2006年の嘉納杯とアジア大会では3位だった[1]。2007年のアジア選手権では3位、プレ・オリンピック大会では2位だったが、世界団体では石井慧などとともに活躍して優勝を飾った[1]。続く嘉納杯では2位だった[1]。この時期には結婚して子を儲けたことで何としてもオリンピックに出るという強い気持ちで取り組んだ結果、2008年の選抜体重別で優勝して北京オリンピック日本代表に選ばれた[4]。しかし、オリンピックでは初戦でブラジルのティアゴ・カミロに技ありで敗れた[1]。そのショックで暫く引きこもっていたが、特に面識があったわけでもないコンビニやクリーニング屋の店員から応援を受けて、再びやる気が湧いてきた[4]。階級を90kg級に上げて再び柔道に取り組むと、嘉納杯で優勝した[1]。2009年の世界選手権では3回戦でウズベキスタンのディルショド・チョリエフに指導2で敗れた[1]。その一方で、2009年から2010年にかけてIJFワールド柔道ツアーで5大会連続優勝を果たして世界ランキング1位になった[3][4]。2010年に東京で開催された世界選手権では優勝候補筆頭として臨んだものの、3回戦でギリシャのイリアス・イリアディスに有効で敗れてしまった。この試合では開始早々イリアディスの払巻込で崩れたものの、主審も副審もポイントを示さなかった。ところが、IJF審判理事であるフアン・カルロス・バルコスの指示によって有効ポイントが入った。さらに終盤に足を掴まれるも、この場合は反則に該当しないとの判断が下された。今年から相手の下半身に直接手や腕が触れると反則負けになるという新ルールが導入されたことにより、反則が認められていれば小野の勝利になっているところであった[1][7]。2011年の世界選手権では準決勝で大学の10年後輩となる西山大希に指導2で敗れるも3位となり、2005年以来となる世界選手権でのメダルを獲得した[8]。しかし、2012年のロンドンオリンピックには西山将士や西山大希との代表争いに敗れて出場できなかった[1]。その後階級を100kg級に上げると、選抜体重別では今大会初となる3階級制覇(81kg級、90kg級、100kg級)を達成した[9]。しかし、世界選手権では5位にとどまり、3階級でのメダル獲得はならなかった[10]。 2015年4月には全日本選手権に34歳にして初めての出場を果たして1勝をあげた[11]。11月の講道館杯では初戦で敗れて引退を示唆した[12]。体が続く限り現役を続けたいという思いもあって、この年まで現役を続けることになった[4]。2016年9月からは筑波大学柔道部の監督に就任した[13]。2021年10月には全日本代表チームの90kg級と100kg級のコーチに就任した[14]。2020年からは帝京平成大学の男子柔道部監督に就任した[15]。2021年からは全日本男子代表チームのコーチにもなった[16]。
戦績
[編集](81kg級での成績)
- 1998年 - 全日本ジュニア 優勝
- 1998年 - 世界ジュニア 3位
- 1999年 - ハンガリー国際 7位
- 1999年 - 全日本ジュニア 優勝
- 2000年 - 学生体重別 優勝
- 2000年 - 学生優勝大会 2位
- 2000年 - 講道館杯 3位
- 2000年 - 世界学生 2位
- 2001年 - ベルギー国際 優勝
- 2001年 - アジア選手権 3位
- 2001年 - 学生体重別 優勝
- 2002年 - 日本国際柔道大会 2位
- 2002年 - ロシア国際 2位
- 2002年 - エストニア国際 3位
- 2002年 - ポーランド国際 3位
- 2002年 - 選抜体重別 3位
- 2002年 - 学生体重別 優勝
- 2002年 - 学生体重別団体 3位
- 2002年 - 講道館杯 2位
- 2003年 - 嘉納杯 5位
- 2003年 - ハンガリー国際 5位
- 2003年 - 選抜体重別 3位
- 2003年 - アジア選手権 3位
- 2003年 - モナコ国際柔道大会 優勝
- 2004年 - チェコ国際 3位
- 2004年 - 選抜体重別 3位
- 2004年 - 講道館杯 2位
- 2004年 - 韓国国際 優勝
- 2005年 - フランス国際 3位
- 2005年 - 選抜体重別 優勝
- 2005年 - アジア選手権 優勝
- 2005年 - 世界選手権 3位
- 2006年 - 嘉納杯 3位
- 2006年 - グルジア国際 3位
- 2006年 - フランス国際 3位
- 2006年 - 選抜体重別 3位
- 2006年 - アジア大会 3位
- 2007年 - 選抜体重別 2位
- 2007年 - アジア選手権 3位
- 2007年 - プレ・オリンピック大会 2位
- 2007年 - 世界団体 優勝
- 2007年 - 嘉納杯 2位
- 2008年 - 選抜体重別 優勝
- 2008年 - アジア選手権 3位
(90kg級での成績)
- 2008年 - 世界団体 5位
- 2008年 - 講道館杯 5位
- 2008年 - 嘉納杯 優勝
- 2009年 - グランドスラム・パリ 2位
- 2009年 - 選抜体重別 2位
- 2009年 - グランドスラム・モスクワ 優勝
- 2009年 - グランドスラム・東京 優勝
- 2010年 - ワールドマスターズ 優勝
- 2010年 - グランドスラム・パリ 優勝
- 2010年 - 選抜体重別 優勝
- 2010年 - グランプリ・チュニス 優勝
- 2010年 - グランドスラム・モスクワ 優勝
- 2010年 - アジア大会 優勝
- 2010年 - グランドスラム・東京 5位
- 2011年 - ワールドマスターズ 3位
- 2011年 - 選抜体重別 3位
- 2011年 - グランドスラム・リオデジャネイロ 優勝
- 2011年 - 世界選手権 3位
- 2011年 - 世界団体 3位
- 2012年 - ワールドマスターズ 5位
- 2012年 - グランプリ・デュッセルドルフ 5位
(100kg級での成績)
- 2012年 - 講道館杯 3位
- 2013年 - グランプリ・デュッセルドルフ 2位
- 2013年 - 選抜体重別 優勝
- 2013年 - 世界選手権 5位
- 2014年 - 選抜体重別 3位
(出典[1]、JudoInside.com)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「柔道全日本強化選手名鑑 2013」近代柔道 ベースボールマガジン社、2013年4月号
- ^ 柔道小野が了徳寺学園退職「引退するとは言えない」 日刊スポーツ 2015年6月28日
- ^ a b c d e 「世界柔道 東京2010 観戦ガイド」 アスペクト、2010年発行 16頁
- ^ a b c d e f g 小野卓志 インタビュー
- ^ 柔道 鈴木桂治、小野卓志選手 挑む 北京五輪 読売新聞 2008年8月7日
- ^ 全日本学生柔道体重別選手権大会[リンク切れ]
- ^ 審判とルール(世界選手権をみて)
- ^ 小野が意地の銅メダル 日刊スポーツ 2011年8月27日
- ^ 100キロ超級は七戸が2連覇=小野、史上初の3階級制覇-全日本選抜柔道 時事通信 2013年5月12日
- ^ 小野、3階級目のメダル届かず=世界柔道 時事通信 2013年9月1日
- ^ 34歳・小野、初出場に感慨深げ「いろんなことが交差した最高の舞台 サンケイスポーツ 2015年4月29日
- ^ 35歳小野が現役引退を示唆「出る試合もない」/柔道 サンケイスポーツ 2015年11月8日
- ^ 筑波大監督に小野氏=柔道 時事通信 2016年9月10日
- ^ パリ五輪へ、海老沼匡氏を男子コーチに起用/柔道 サンケイスポーツ 2021年10月9日
- ^ OB 小野卓志
- ^ 帝京平成大学 男子柔道部 小野卓志監督が2024年パリ五輪の全日本柔道男子強化コーチ(90kg級・100kg級)に選出
外部リンク
[編集]- 了徳寺学園柔道部:小野卓志
- 小野卓志 - オリンピックチャンネル
- 小野卓志 - Olympedia
- 小野卓志 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 小野卓志 - JudoInside.com
- 小野卓志 - 国際柔道連盟
- 小野卓志 - Alljudo