小野勇
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小野 勇(おの いさむ、1903年(明治36年)[1]- 1972年(昭和47年)[1])は、日本の造園家、作庭家。
略歴
[編集]福島生まれ[1]。1928年(昭和3年)、東京高等造園学校(現・東京農業大学造園科学科)卒業後、内匠寮庭園係勤務となり、1929年(昭和4年)まで霞ヶ関離宮庭園詰所勤務となる[1]。
その後1933年(昭和8年)まで新宿御苑および朝香宮御殿庭園工事にたずさわる[1]。同年宮内省匠生となり、赤坂離宮、新宿御苑庭園勤務となる[1]。
1941年(昭和16年)宮内技手となり、1946年(昭和21年)退官後、通信建設工業株式会社勤務となる[1]。
その後、1948年(昭和23年)より宮内府王殿寮庭園係に復職、1960年(昭和35年)庭園第二係長[1]。その後庭園第一係長、管理部庭園課課長補佐となる[1]。1969年(昭和44年)退官[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 庭園. 1931年10月号 13(10)(133) 日本庭園協会
- 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。
- 小沢朝江、「明治宮殿造営組織における図工の職務と就業状況」 『日本建築学会技術報告集』 2013年 19巻 42号 p.757-760, doi:10.3130/aijt.19.757
- 小野木重勝、皇居造営機構と技術者構成 『日本建築学会論文報告集』 1972年 195巻 p.75-81,98, doi:10.3130/aijsaxx.195.0_75