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小谷野伝蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小谷野伝蔵
こやの でんぞう
生年月日 1883年11月1日
出生地 日本の旗 日本 栃木県下都賀郡栃木町
没年月日 1963年12月
出身校 栃木中学校卒業
前職 浦和商業銀行
宗教 浄土真宗

在任期間 1936年3月27日 - 1938年8月1日

第12代 浦和町会議長
浦和町長
在任期間 1922年2月6日 - 1923年8月20日

北足立郡会議員
在任期間 1919年 - ?

浦和町会議員
在任期間 1915年 - ?
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小谷野 伝蔵(小谷野 傳藏、こやの でんぞう、1883年明治16年)1月1日[1][2][3][4][注釈 1] - 1963年昭和38年)12月[5])は、大正から昭和時代前期の政治家実業家埼玉県浦和市長。埼玉県多額納税者[6]

経歴・人物

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栃木県栃木町生まれ[2]栃木中学校卒業[7]。坂倉重平の三男として生まれ、小谷野やさの養子となり、1912年(大正元年)家督を相続する[8][注釈 2][注釈 3]。1915年(大正4年)、浦和商業銀行に入行した[3]。同年、浦和町会議員となる[9][10]1919年(大正8年)、北足立郡会議員となる[9][10]1921年(大正10年)、浦和商業銀行頭取となった[3]1922年(大正11年)2月6日、浦和町長兼浦和町会議長となった[4][11]1923年(大正12年)8月20日に退任した[4]1936年(昭和11年)3月27日、埼玉県浦和市長に就任する[6]1938年(昭和13年)8月1日、浦和市長を辞任した[12]。1963年(昭和38年)に浦和市名誉市民となった[13]

ほか、相川精麥代表取締役社長、埼玉県農工銀行・武神製衡所各取締役、第八十五銀行取締役、浦和・大谷場各耕地整理組合長などを歴任した[6][14]

宗教は真宗[1]

出典

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注釈

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  1. ^ 『埼玉県名士鑑』には明治16年11月1日となっている
  2. ^ 『現代人事調査録』には、家督相続明治40年となっている
  3. ^ 『大衆人事録 昭和3年版』には小谷野元七の養子となっている

脚注

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  1. ^ a b 大衆人事録 昭和3年版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b 御大典栄誉記念写真帖 : 昭和三年十一月』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c 大衆人事録 第12版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c 浦和市議会史 上巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、707頁。
  6. ^ a b c 帝国自治協会 1938, 20頁.
  7. ^ 埼玉県名士鑑』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 人事興信録 第8版(昭和3年)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ a b 浦和市史 第5巻 (現代史料編 1)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ a b 浦和市史 第5巻 (現代史料編 1)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 現代人事調査録』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  12. ^ 都市公論 21(8)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ 浦和市史 通史編 4』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  14. ^ 人事興信所 1928, コ66頁.

参考文献

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