小笠原照羽
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小笠原 照羽(おがさわら てるのぶ、正徳5年(1715年) - 天明6年(1786年)12月7日)は、江戸時代中期の旗本。通称は源蔵、友右衛門。実父は御家人・長沼貞政。子に小笠原則普らがいる。家禄は70俵。
享保12年(1727年)12月25日、御家人・小笠原高包の養子となる。延享元年(1744年)5月3日家督を相続し、同3年(1746年)2月6日天守番、寛延3年(1750年)12月26日支配勘定に転じ、宝暦8年(1758年)11月18日勘定に進み、お目見え以上(旗本)となる。同12年(1762年)7月18日、大阪に於いて蔵奉行の添役として監査にあたる。美濃国、伊勢国に赴き河川普請に従事したことについて、明和3年(1766年)に時服2領、黄金2枚を賜る。同年11月26日越後国水原代官所の代官となり、天明6年(1786年)に没した。法名は日定。墓所は牛込の妙照寺。