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小田切昌應

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小田切昌應
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦6年(1756年
死没 不明
別名 千次郎
主君 徳川家治
氏族 小田切氏
父母 父:三宅康英、母:植村正苗
養父:小田切昌興[1][2]
兄弟 三宅康哉昌應堀長富、某(雄之丞)[2]
昌應、女子(昌應妻)、女子、高山盛喬[1]
小田切昌興
女子、昌克三浦義威、女子、某(清三郎)、某(富次郎)、女子、某(鍋吉)、女子、某(栄蔵)、某(義之助)
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小田切 昌應(おだぎり まさたか)は、江戸時代中期の武士旗本

経歴

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安永2年(1774年)3月7日に家督を継ぎ、蔵米700俵を食んだ[1]

脚注

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  1. ^ a b c 堀田 1923, 巻第三百九十四.
  2. ^ a b 堀田 1923, 巻第千四.

参考文献

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