小王婕妤
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婕妤王氏(しょうよ おうし、1107年[1] - ?)は、北宋の徽宗の妃嬪。徽宗には他にも王姓の婕妤がおり、その区別のためもあって小王婕妤と呼ばれる。
生涯
[編集]靖康の変で金に連行された時、王氏は妊娠しており、連行途中の4月に男子を出産した。金に到着後は、産婦だったことを考慮されたため、兵に凌辱されて妊娠した5人の妃嬪と一緒に、昏徳公(徽宗)のもとに帰された。
以後、この息子の記載はない。小王婕妤は、南宋と金の国交が回復した時(1162年)まで、金で暮らしていたことが伝わっている。
息子
[編集]- 趙極
伝記資料
[編集]- 『靖康稗史箋證』
- 『三朝北盟会編』
- 『宋会要輯稿』
脚注
[編集]- ^ 『開封府状』によれば「小王婕妤二十歳」