小浜裕一
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県神戸市灘区 |
生年月日 | 1968年2月19日(56歳) |
身長 体重 |
182 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1985年 ドラフト外 |
初出場 | 1990年9月12日 |
最終出場 | 1993年8月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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小浜 裕一(こはま ゆういち、1968年2月19日 - )は、兵庫県神戸市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]葺合高では甲子園出場は無く夏の県大会3回戦が最高成績だった[1]。1985年オフにドラフト外で阪急ブレーブスにテスト入団[2]。
プロ5年目の1990年に一軍初登板を果たす。1994年シーズン限りで現役を引退[1]。
引退後は、オリックスの打撃投手、一軍マネージャーほか、球団本部管理部長、球団副本部長兼事業本部事業運営部長を経て2024年1月1日付で執行役員(連盟担当)球団本部長に就任。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | オリックス | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 28 | 6.0 | 9 | 1 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 5 | 7.50 | 2.00 |
1992 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 8 | 2.0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.50 | |
1993 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 17 | 3.0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 5 | 5 | 15.00 | 3.00 | |
通算:3年 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 53 | 11.0 | 19 | 1 | 5 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 10 | 10 | 8.18 | 2.18 |
記録
[編集]- 初登板:1990年9月12日、対近鉄バファローズ24回戦(藤井寺球場)、2回裏無死に2番手として救援登板、4回3失点
- 初奪三振:同上、3回裏にラルフ・ブライアントから
- 初セーブ:1990年10月4日、対ロッテオリオンズ23回戦(川崎球場)、11回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
背番号
[編集]- 73(1986年 - 1987年)
- 59(1988年 - 1994年)
- 108 (1995年 - 1998年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、224ページ
- ^ KOBECCO 第二のプレイボール Vol.5 「嗚呼、オリックス・バファローズ 小浜裕一さん」
外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 小浜裕一 - NPB.jp 日本野球機構
- 僕、じつは選手だったんです - 「Webマガジン 月刊チャージャー」 - Yahoo! JAPAN PR企画