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小泉長利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小泉 長利
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:藤左衛門尉
主君 朝倉義景
氏族 小泉氏
長治
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小泉 長利(こいずみ ながとし)は、戦国時代武将朝倉氏の家臣。

略歴

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小泉氏大和国興福寺衆徒の箸尾氏が祖先とされる[1]文明年間(1469年1486年)に氏祖・小泉藤長が朝倉氏に仕えた。

長利は朝倉氏11代当主・朝倉義景の時代に活躍し、早くから朝倉景連河合吉統前波景定らと共に奉行職を担当したと思われるが、書状等に初めて名が確実に見えるのは天文19年(1550年)5月に景定と連署したものが初出で、永禄7年(1564年)6月17日発給の連署を最後に名が見えなくなるので、この直後に死没したと推測される。

なお、子・長治は朝倉氏の滅亡後、織田信長に降った旧朝倉家臣の溝江長逸を頼ったが、天正2年(1574年)2月19日に越前一向一揆の襲撃を受けて溝江氏と共に滅亡した。

脚注

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  1. ^ 「大乗院寺社雑記」

出典

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  • 松原信之編『朝倉義景のすべて』(新人物往来社、2003年)ISBN 4404031335
  • 水藤真『朝倉義景 (人物叢書)』(吉川弘文館、1986年)ISBN 4642050604