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小泉多三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小泉多三郎
こいずみ たさぶろう
生年月日 1883年1月10日
出生地 日本の旗 日本 岩手県東和賀郡十二鏑村
(現・岩手県花巻市
没年月日 (1952-08-12) 1952年8月12日(69歳没)
出身校 盛岡高等農林学校卒業
(現・岩手大学農学部)
前職 岩手林業常務

当選回数 2回
在任期間 1947年4月8日 - 1952年6月10日

在任期間 1929年 - 1947年
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小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年明治16年〉1月10日[1] - 1952年昭和27年〉8月12日[1][2][3])は日本政治家岩手県盛岡市長。

来歴

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岩手県東和賀郡十二鏑村(のち和賀郡土沢町東和町現・花巻市)出身[1]。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1906年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒[1][3][4]樺太民政署に入り、東京営林局などに勤務した[4]。その後、1908年に母校の盛岡高等農林学校の助教授となり、1918年に教授となった[1][3]。同年に退職後、岩手林業に入り、常務取締役となった[1][3][4]

1929年、盛岡市会議員となり、18年務めた[1][3]

1947年盛岡市長選挙

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盛岡市長選挙に立候補して、社会党の新人を破って初当選を果たした[4][5][6]。4月8日に市長に就任した[7]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
小泉多三郎64無所属21,663票60.3%-
鈴木彦次郎50日本社会党14,274票39.7%-

1948年には、岩手銀行監査役にも就任している[8]1951年に無投票で再選したが[5][6]、1952年に病床に倒れ、同年6月10日に辞職した[3][7]。そして、8月12日午後8時33分に死去した[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『岩手人名辞典』104頁。
  2. ^ 岩手銀行五十年史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c d e f g 盛岡市議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c d 『日本の歴代市長』第1巻、231頁。
  5. ^ a b 盛岡市・市長選(岩手県):政治データのブログ
  6. ^ a b 栄光のあかし : 自由民主党岩手県連三十周年記念誌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ a b 日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第1巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 岩手銀行五十年史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。