小林重直
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 天文13年(1544年) |
死没 | 永禄12年3月27日(1569年4月23日) |
別名 | 勝之助、権大夫、平大夫 |
戒名 | 増広 |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 小林氏(称・桓武平氏) |
父母 | 小林重正 |
兄弟 | 重直、正次、正時、正忠、正吉、重成、加藤景親室、神尾江右衛門室 |
子 | 正次 |
小林 重直(こばやし しげなお)は、戦国時代の武将。徳川家康の家臣。
略歴
父重正は松平氏譜代の家臣で、自身も徳川家康の小姓として出仕する。永禄5年(1562年)小坂井の戦いでの撤退戦、永禄6年(1563年)土呂一揆鎮圧などで武功を立てた。永禄12年(1569年)掛川城攻めにも従軍するがここで戦傷し、癒えぬままに同年の堀川城攻めに従い、敵と戦って討死した。その際、近くにいた本多忠勝の自らの脇差を与えたという。その脇差は後に小林氏を継いだ弟の正次に与えられた。家康もこの死を惜しみ、その遺骸を水野清久に命じて高野山で葬らせている。
参考文献
- 「寛政重修諸家譜」巻第1025