小林蔵六
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小林 蔵六(こばやし ぞうろく、1837年(天保8年)9月 - 1878年(明治11年))は、幕末から明治時代前期にかけての画家。名は朋、字は子益。号は友竹居[1]。
最初の妻は安、後妻が、小林玉潤(名は鶴、1851年 - 1877年)[2]。常総市の大楽寺に、小林蔵六・玉潤の供養碑がある。
下総(現在の茨城県)の生まれ。椿椿山、後に山本琴谷や福田半香らに文人画を学ぶ[3]。竹を描くのが得意であった。左手で描いたため、落款に「左腕蔵六」とあるものもある。
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