小林淳一
小林淳一 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県 |
生年月日 | 1973年3月12日(51歳) |
身長 | 164cm |
体重 | 50kg |
血液型 | A型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 |
美浦・佐藤林次郎(1992 - 1997) 美浦・フリー(1997 - 2012) |
初免許年 | 1992年 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 | 2012年3月31日 |
重賞勝利 | 3勝 |
通算勝利 | 7842戦299勝 |
小林 淳一(こばやし じゅんいち、1973年3月12日 - )は、栃木県出身の元騎手、競馬学校教官。愛称は「コバジュン」。
息子はJRA騎手の小林凌大、甥(姉の子)はJRA騎手の水沼元輝[1]。
来歴
[編集]中学1年時に宇都宮にある育成牧場で乗馬を始め、競馬学校に2度目の受験で合格した[2]。1992年3月に競馬学校第8期生、美浦・佐藤林次郎厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には上村洋行、後藤浩輝らがいる。
1年目に20勝をマークし、これ以降概ね10勝から20勝台を維持。1997年には福島リーディング上位に食い込むなど頭角を現し始め、これと前後する時期に所属していた佐藤厩舎を離れフリーへと転身。
この後はトウカイポイント・イングランディーレ・ホットシークレットなどの実績馬への騎乗も集まるようになり、2001年にはフローラステークス・オイワケヒカリで重賞初勝利を果たすが、2003年頃より勝利数・騎乗数が緩やかに下降。人気馬に騎乗する機会も少なくなったが、実力を発揮するために荒れるレースがあった。2005年10月22日の東京第12競走において16頭中最低人気のゼンノエキスプレスで勝利し、3連単1846万9120円という当時のJRA史上最高配当が飛び出す大波乱の中心となった。2007年5月6日のNHKマイルカップでは18頭中最低人気のムラマサノヨートーで3着に入り、17番人気で勝利したピンクカメオと共に当時のJRA重賞最高配当となる3連単973万9870円の波乱劇を演出するなど、記録的高配当となったレースで馬券対象に名を連ねている。2008年には12年ぶりに勝利数が2桁を割り込むなど以降は勝利数1桁台と低迷が続き、2011年には僅か3勝という結果に終わる。
数年前にJRAより競馬学校教官への転身を打診されるも「もうしばらく騎手で頑張りたい」と一度は誘いを辞退した小林であったが、この年に再度オファーを受けたことや自己ワーストとなる3勝という成績に納得ができないことから引退を決意[3]。2012年3月、ラストレースでは出遅れて最下位10着に終わり、通算7842戦299勝で引退。「最後に“ケツ”というのも僕らしい。あと1勝して300勝を達成したかったな」とコメントした[4]。
引退後は競馬学校の教官へと転身し[5]、2016年に息子の凌大が競馬学校に35期生として入学、のち騎手デビューした[6][7]。
騎乗成績
[編集]日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 1992年3月1日 | 2回中山2日2R | 4歳未勝利 | ブランドアップ | 11頭 | 9 | 4着 |
初勝利 | 1992年3月21日 | 2回中山7日8R | 5歳上500万下 | メジロフェンディー | 16頭 | 4 | 1着 |
重賞初騎乗 | 1992年10月25日 | 2回福島8日11R | カブトヤマ記念 | アサクサハポネス | 15頭 | 14 | 6着 |
重賞初勝利 | 2001年4月22日 | 2回東京2日11R | フローラS | オイワケヒカリ | 16頭 | 5 | 1着 |
GI初騎乗 | 2000年5月21日 | 3回東京2日11R | 優駿牝馬 | バイラリーナ | 18頭 | 8 | 11着 |
年度 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | 複勝率 |
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1992年 | 20 | 13 | 20 | 271 | .074 | .122 | .196 |
1993年 | 25 | 18 | 30 | 405 | .062 | .106 | .180 |
1994年 | 9 | 16 | 17 | 226 | .040 | .111 | .186 |
1995年 | 17 | 10 | 16 | 257 | .066 | .105 | .167 |
1996年 | 8 | 10 | 13 | 298 | .027 | .060 | .104 |
1997年 | 14 | 21 | 22 | 340 | .041 | .103 | .168 |
1998年 | 12 | 17 | 18 | 330 | .036 | .088 | .142 |
1999年 | 29 | 33 | 27 | 509 | .057 | .122 | .175 |
2000年 | 23 | 33 | 44 | 528 | .044 | .106 | .189 |
2001年 | 22 | 28 | 32 | 546 | .040 | .092 | .150 |
2002年 | 23 | 23 | 30 | 527 | .044 | .087 | .144 |
2003年 | 20 | 32 | 21 | 496 | .040 | .105 | .147 |
2004年 | 16 | 28 | 33 | 487 | .033 | .090 | .158 |
2005年 | 18 | 16 | 31 | 467 | .039 | .073 | .139 |
2006年 | 10 | 19 | 12 | 413 | .024 | .070 | .099 |
2007年 | 12 | 12 | 23 | 455 | .026 | .053 | .103 |
2008年 | 4 | 3 | 9 | 312 | .013 | .022 | .051 |
2009年 | 4 | 8 | 10 | 228 | .018 | .053 | .096 |
2010年 | 7 | 13 | 12 | 371 | .019 | .054 | .086 |
2011年 | 3 | 6 | 8 | 308 | .010 | .029 | .055 |
2012年 | 3 | 2 | 2 | 68 | .044 | .074 | .103 |
中央 | 299 | 361 | 430 | 7842 | .038 | .084 | .139 |
地方 | 6 | 13 | 10 | 153 | .039 | .124 | .190 |
- 100勝 - 1998年10月18日福島5R[8]
- 200勝 - 2002年11月10日中山10R
主な騎乗馬
[編集]- オイワケヒカリ(2001年フローラステークス)
- イングランディーレ(2003年ダイヤモンドステークス・日経賞)
- トウカイポイント(2001年カブトヤマ記念2着)
- アサヒライジング(2006年クイーンカップ2着)
- ムラマサノヨートー(2007年NHKマイルカップ3着)
- その他
脚注
[編集]- ^ 【わたしの履歴書】水沼元輝騎手「同期の中ではパワーがあるのが持ち味」自分の力を生かしたい――新人紹介2022
- ^ 小林淳一元騎手にインタビュー
- ^ 2012年3月23日日刊スポーツ・関東版
- ^ 小林淳一騎手「僕らしい」ラストレースは最下位
- ^ 小林淳一騎手が引退 JRA競馬学校の教官に Umajin-net 2012年3月22日閲覧
- ^ 岩田ジュニアら8名が競馬学校騎手課程に合格!
- ^ テレビ紹介情報
- ^ “ニュースぷらざ”. ケイバブック. 2015年6月29日閲覧。