小林トシ子
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こばやし としこ 小林 トシ子 | |
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『サンケイグラフ』1955年4月24日号より | |
本名 |
勅使河原トシ子 てしがはらとしこ |
生年月日 | 1932年4月6日 |
没年月日 | 2016年12月29日(84歳没) |
出生地 | 日本・東京府東京市中央区築地 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画・舞台 |
活動期間 | 1946年 - 1980年代頃 |
配偶者 | 勅使河原宏 |
主な作品 | |
『青春残酷物語』(1960年) |
小林 トシ子(こばやし としこ、本名:勅使河原トシ子(旧姓:小林)、1932年4月6日 - 2016年12月29日)は、日本の女優。
略歴
[編集]東京市中央区築地生まれ。1946年4月、学校を中退して日劇ダンシングチーム(NDT)に入団。1947年2月、初舞台。
1949年、松竹の木下恵介監督にスカウトされ、映画『破れ太鼓』でスクリーンデビュー。これは高峰秀子が予定されていた大役での出演であった。翌1950年に松竹に正式入社し、木下の指示で俳優座養成所に1年間通う。1951年、日本初のカラー作品『カルメン故郷に帰る』での演技は特に有名。
1956年、映画監督の勅使河原宏と結婚し、後に三人の娘をもうける。
1960年、松竹を退社してフリーになり、以後他社の映画や舞台で活躍した。
2016年、東京にて死去[1]。墓所は青山霊園(1ロ20-35)。
主な出演作品
[編集]映画
[編集]- 破れ太鼓(1949年、松竹)- 秋子
- カルメン故郷に帰る(1951年、松竹大船) - マヤ朱美
- 現代人 (1952年、松竹)- 荻野泉
- カルメン純情す(1952年、松竹大船) - マヤ朱美
- 君の名は (1953年、松竹大船)- 梢
- 家族会議 東京篇・大阪篇(1954年、松竹) - 梶原清子
- 二十四の瞳 (1954年、松竹大船)- 早苗
- この広い空のどこかに(1954年、松竹) - 房子
- 人間の条件 第一部純愛篇、第二部激怒篇 (1959年、にんじんくらぶ=歌舞伎座映画)- 靖子
- 青春残酷物語 (1960年、松竹大船)-下西(真琴の担任)
- 風の視線(1963年、松竹) - 山岡ミチ
- 黒蜥蜴(1968年、松竹) - ひな
テレビドラマ
[編集]- 東芝日曜劇場 (KR)
- 「吉葉山物語」(1958年)
- 「黒い虹」(1958年)
- 誘惑(1959年、NTV)
- お気に召すまま(1962年、NETテレビ)第3話「天才の秘密」
- 大奥 第21話「呪われた肌」(1968年、KTV- 佐山
- 銭形平次 第728話「瞳の中の鐘」(1980年、CX)
- 熱中時代 教師編第2シリーズ 第32話「校長先生に弟がいた!」(1981年、NTV) - 母親・文代
脚注
[編集]- ^ , 「草月指導者連盟」会員向け機関紙「草」, 2017年2月号, 草月会 , (2017-02-01), http://www.sogetsu.or.jp/akane/soshiren/2008/post_52.html