小松神社 (羽生市)
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小松神社 | |
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所在地 | 埼玉県羽生市小松280 |
位置 | 北緯36度09分22.8秒 東経139度31分38.1秒 / 北緯36.156333度 東経139.527250度座標: 北緯36度09分22.8秒 東経139度31分38.1秒 / 北緯36.156333度 東経139.527250度 |
主祭神 | 伊弉諾命、伊弉冉命、小松大明神(平重盛) |
社格等 | 郷社 |
創建 | 景行天皇の御代? |
歴史
[編集]景行天皇の御代に創建された。日本武尊の東征の途上で、伊弉諾命、伊弉冉命の2柱を祀る祠を建てたという。その後も平貞盛・藤原秀郷・源頼信などの武将が当社に参拝したという[1][2]。
承安年間(1171年 - 1175年)、平重盛は熊野・白山の両権現を当社に勧請した。重盛の死後、家臣の平貞能は重盛の遺骨を携えて当社のそばに葬り、菩提を弔うために「小松寺」を創建した[1][2]。
1554年(天文23年)、羽生城の城主木戸忠朝は社殿を修築し祈願所とした。しかし羽生城の落城に伴い、当社も衰微してしまった。ちょうどその頃、兵火の難を逃れて避難していた正覚院の長雅は、この小松社寺の衰微を嘆き、中興した。この縁により、小松寺は正覚院の末寺となった[1][2]。
明治初期の神仏分離により、小松寺は廃寺に追い込まれた。小松寺の僧侶は還俗して当社の神職となった。1873年(明治6年)、近代社格制度に基づく「郷社」に列せられた[1]。
文化財
[編集]- 小松神社算額(羽生市指定有形文化財 昭和44年3月20日指定)[3]
- 木造十一面観音坐像(羽生市指定有形文化財 昭和56年6月29日指定)[3]
- 木造阿弥陀如来坐像(羽生市指定有形文化財 昭和56年6月29日指定)[3]
- 朝鮮使節来朝(羽生市指定有形文化財 平成元年7月11日指定)[3]
- 小松神社本殿(羽生市指定有形文化財 平成28年3月25日指定)[3]
交通アクセス
[編集]- 羽生駅より徒歩26分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年