小張
小張 | |
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つくばみらい市総合運動公園 | |
北緯35度59分32.58秒 東経140度3分0.07秒 / 北緯35.9923833度 東経140.0500194度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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人口 | |
• 合計 | 1,830人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
300-2353 |
市外局番 | 0297[2] |
ナンバープレート | つくば |
小張(おばり)は、茨城県つくばみらい市の地名。郵便番号は300-2353。
地理
[編集]つくばみらい市の中部に位置し、地域内を県道野田牛久線が通る。また、みらい平地区に隣接しており、北西部をみらい平地区へと分離した。地域内には市立小張小学校、つくばみらい市総合運動公園がある。
東は板橋・伊奈東、西は新戸・市野深・紫峰ヶ丘・陽光台・谷口、南は新戸、北は小島新田と接している。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
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小張 | 710世帯 | 1,830人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 小張小学校 | 伊奈中学校 |
歴史
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戦国時代には只越善久(ただこしぜんきゅう)が小張城を築城した[3]。慶長8年(1603年)に松下重綱が小張城に入り、小張藩を立てたが、元和2年(1616年)に下野国烏山藩へ移封となったため、小張藩は消滅し、小張城も廃城となった[3]。寛永2年(1625年)、伊奈忠治が陣屋を設け、鬼怒川の河川工事と谷原領の開拓の拠点とした[4]。また近世の小張は「小張駅」とも称し、筑波や谷田部へ向かう街道の宿駅としての役割もあった[4]。
近代になると小張村の役場が置かれ、伊奈村(後に伊奈町)発足以後は村の北部に位置する一集落となった[4]。
交通
[編集]首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスみらい平駅、常磐線取手駅とつくば市谷田部地区を結ぶ路線バスと、つくばみらい市コミュニティバス「みらい号」が地域内を走っている。みらい平駅にも近接しており、みらい平駅からのバスも利用できる。
路線バス
[編集]地域内には、「寺下」、「小張下宿」、「小張」、「愛宕」、「愛宕住宅前」、「高波」、「出山住宅」の7つの停留所がある。
主要経由地 | 行先 | 運行会社 |
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高波・みらい平駅・小張・豊体・谷井田中央・白山8丁目 | 取手駅西口 | ■関東鉄道 |
小張・みらい平駅・高波・茨城ゴルフ場・谷田部四ツ角 | 谷田部車庫 | |
小張下宿・小張・板橋不動尊・筑波ゴルフ場・高岡 | ||
小張・愛宕住宅前・高波 | みらい平駅 |
コミュニティバス
[編集]地域内には、「高波住宅前」、「高波」、「愛宕住宅前」、「愛宕」、「小張」、「宮田歯科前」、「総合運動公園西」、「寺下」、「小張下宿」、「出山住宅前」の10つの停留所がある。
系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行会社 | |
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南(右) | 板橋小学校前、きらくやまふれあいの丘・伊奈庁舎・守谷駅東口 | 循環みらい平駅 | ■関東鉄道 | |
南(左) | 守谷駅東口・伊奈庁舎・きらくやまふれあいの丘・板橋小学校前 | |||
東(右) | 伊奈東中央・板橋小学校前・きらくやまふれあいの丘・伊奈庁舎 | |||
東(左) | 伊奈東中央・板橋小学校前・伊奈庁舎・きらくやまふれあいの丘 | |||
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道路
[編集]- 千葉県道・茨城県道46号野田牛久線 - 旧・布施街道であり、小張丁字路以南に江戸時代の小張宿があった[3]。布施街道は現今の野田牛久線よりも道幅が広く、最大10mあったとされる[3]。
- 茨城県道127号谷田部小張線
施設
[編集]- つくばみらい市立小張小学校
- つくばみらい市総合運動公園
- 茨城ゴルフ倶楽部
- 愛宕神社
史跡
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 川嶋健『常総の道しるべと渡船場 布施街道・筑波街道・諏訪道・船戸道の復元』川嶋健、2017年6月10日、286頁。全国書誌番号:22927452
- 栗山作次郎 著「小張」、茨城新聞社 編 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、198頁。全国書誌番号:85006646