小屋道治
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こや みちはる 小屋 道治 | |
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生誕 |
1879年 群馬県前橋市 |
死没 |
1921年6月27日 秋田県秋田市 |
職業 | 工学者 |
小屋 道治(こや みちはる、1879年〈明治12年〉 - 1921年〈大正10年〉6月27日[1])は、日本の工学者。秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)教授。
経歴
[編集]小屋右兵衛の長男として1879年(明治12年)に群馬県勢多郡笂井村(現在の前橋市笂井町)に生まれる。父小屋右兵衛は南勢多郡木瀬村の村長(1896年から1904年まで)を務めた人物であり、美学者大塚保治(旧姓・小屋)の兄である[2]。
現在の前橋市立笂井小学校、群馬県立前橋高等学校を卒業後、第二高等学校を経て、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業する。卒業後は東京砲兵工廠火薬製造技術にて研究に従事する。
中国広東省の高等工業学堂の教授を経て、1912年(明治45年)より秋田鉱山専門学校にて、講師、教授を務める。1918年(大正7年)から1920年(大正9年)12月にかけてアメリカ、イギリスに留学し、治金や石油化学に関する研究を行う。帰国後、秋田鉱専に戻り教育・教育に従事する。1921年(大正10年)6月、病気により死去。道治の墓所は群馬県前橋市笂井町の小屋家の墓地にあり、秋田鉱専により建てられたものである[2]。
注釈
[編集]- ^ 『北光』第12号、秋田鉱山専門学校校友会、1921年12月、口絵。
- ^ a b 木瀬村誌編纂委員会 1995, p. 768.
参考文献
[編集]- 木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X 。