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小住七五三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小住 七五三
生誕 1880年4月29日
日本の旗 日本 福岡県
死没 不明
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1902年 - 1934年
最終階級 陸軍少将
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小住 七五三(おずみ しめぞう、1880年明治13年)4月29日 - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴・人物

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福岡県出身[1][2]1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][2]

1928年(昭和3年)8月に陸軍砲兵大佐・野砲兵第5連隊長、1930年(昭和5年)8月に陸軍技術本部部員、1932年(昭和7年)4月に東京陸軍兵器支廠長、1933年(昭和8年)8月に陸軍少将・陸軍工科学校長を経て、1934年(昭和9年)8月1日に待命、同月30日に予備役に編入した[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

著作

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  • 『心のおき処』兵書出版社、1940年。
  • 『お母さんは』清水書房、1942年。
  • 『現代青年の覚悟』清水書房、1943年。

脚注

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  1. ^ a b c d 福川 2001, 188頁.
  2. ^ a b c 外山 1981, 192頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」123頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026