尊躰寺
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尊躰寺 | |
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所在地 | 山梨県甲府市城東1-13-17 |
位置 | 北緯35度39分35.7秒 東経138度34分47.1秒 / 北緯35.659917度 東経138.579750度座標: 北緯35度39分35.7秒 東経138度34分47.1秒 / 北緯35.659917度 東経138.579750度 |
山号 | 功徳山 |
院号 | 深草院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀三尊 |
創建年 | 大永年間(1521年 - 1528年) |
開山 | 印公 |
開基 | 武田信虎 |
文化財 | 絹本紺地金泥阿弥陀三尊像(甲府市指定文化財) |
法人番号 | 4090005000826 |
歴史
[編集]大永年間(1521年 - 1528年)、武田信虎の開基である。ある日、信虎は重病に罹ったが、真向三尊阿弥陀如来画像に祈願すると治癒したことから、これを本尊とする寺を創建した[1][2]。
武田氏滅亡後に甲斐国を領有した徳川家康は当寺を宿泊所とした。文禄年間(1592年 - 1596年)に現在地に移転した[1][2]。
本尊の真向三尊阿弥陀如来画像は、元々宮中にあったが、後に石清水八幡宮経由で信虎の手に渡っている。そういうこともあり、1533年(天文2年)に後奈良天皇から「功徳山尊躰寺」の勅額を賜わっている(現在は焼失)[3]。
墓地には、金山開発に従事した大久保長安、教育者の富田武陵、俳人の山口素堂の墓がある[2]。
文化財
[編集]- 絹本紺地金泥阿弥陀三尊像(甲府市指定文化財 平成9年11月27日指定)[4]
交通アクセス
[編集]- 金手駅より徒歩6分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年