尊恵法親王
表示
尊恵法親王 | |
---|---|
続柄 | 二条天皇第一皇子 |
称号 | 狛宮、智慧光院 |
身位 | 法親王 |
出生 |
長寛2年7月22日(1164年8月11日) |
死去 |
建久3年4月11日(1192年5月23日)(享年29) |
父親 | 二条天皇 |
母親 | 源光成女 |
尊恵法親王(そんえほっしんのう、長寛2年7月22日(1164年8月11日) - 建久3年4月11日(1192年5月23日))は、平安時代後期の法親王。天台宗。二条天皇の皇子で、母は右馬助・源光成の娘。幼名は狛宮。智慧光院を号す。
長寛2年(1164年)7月22日、二条天皇の皇子として誕生。承安4年(1174年)3月10日、11歳で園城寺に入り出家、円満院に住む[1]。文治元年(1185年)大僧正・真円に灌頂を受け、阿闍梨に補される。後に権大僧都に任ぜられるが、建久3年(1192年)3月8日急病を発し、4月11日に脚気に因り29歳で薨去。「法器之人」と評された[2]。