対馬市立厳原北小学校
表示
対馬市立厳原北小学校 | |
---|---|
北緯34度13分38秒 東経129度18分17秒 / 北緯34.227333度 東経129.304806度座標: 北緯34度13分38秒 東経129度18分17秒 / 北緯34.227333度 東経129.304806度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区小浦小学校 公立鶏知小学校小浦分校 小浦尋常小学校 厳原尋常高等小学校小浦分教場 小浦尋常小学校(再) 厳原第二尋常高等小学校小浦分教場 厳原尋常高等小学校小浦分教場(再) 厳原国民学校小浦分教場 厳原国民学校(統合) 厳原町立厳原小学校(統合) 厳原町立厳原小学校小浦分校 厳原町立北小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)6月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002838 |
所在地 | 〒817-0001 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
対馬市立厳原北小学校(つしましりつ いづはらきたしょうがっこう, Tsushima City Izuhara Kita Elementary School)は長崎県対馬市厳原町小浦にある公立小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区[1]小浦小学校」を前身とする。厳原小学校の分教場・分校を経て、1982年(昭和57年)に分離・独立。2009年(平成21年)に創立135周年、2012年(平成24年)に独立30周年を迎えた。
- 校区
- 住所表記で対馬市厳原町の後に「曲、小浦、南室」が続く地域。中学校区は対馬市立厳原中学校[2]。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)6月1日 - 「第五大学区第四中学区小浦小学校」が開校。
- 1884年(明治17年)頃 - 「公立鶏知小学校小浦分校」に改称。その後、「小浦尋常小学校」として独立。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 小浦地区が鶏知村から厳原町に編入される。
- 1915年(大正4年)4月13日 - 統合により「厳原尋常高等小学校小浦分教場」に改称。
- 分教場では尋常科4年生までを収容し、尋常科5年生以上は厳原尋常高等小学校本校へ通学。
- 1916年(大正5年)4月 - 分教場では尋常科2年生までを収容し、尋常科3年生以上は厳原尋常高等小学校本校へ通学。
- 1917年(大正6年)9月1日 - 厳原尋常高等小学校より分離し、「小浦尋常小学校」(再)として独立。
- 1920年(大正9年)7月20日 - 統合[3]により「厳原第二尋常高等小学校小浦分教場」に改称。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 統合[4]により、「厳原尋常高等小学校小浦分教場」(再)となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「厳原国民学校小浦分教場」に改称。
- 1943年(昭和18年)4月 - 小浦分教場が廃止の上、厳原国民学校に統合される。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・国民学校の初等科が「厳原町立厳原小学校」、高等科が厳原町立厳原中学校となる。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 「厳原町立厳原小学校小浦分校」が設置される。(6年ぶりの復活)1・2年生を収容。
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 厳原町立厳原小学校から分離し、「厳原町立北小学校」として独立。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 市町村合併に伴い、「対馬市立厳原北小学校」(現校名)に改称。
アクセス
[編集]- 最寄りの港
- 最寄りのバス停
- 対馬交通 「小浦」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
[編集]- 厳原小浦簡易郵便局
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「厳原町教育史」(1972年(昭和47年)3月25日 厳原町教育委員会)p.277~p.278
- 「厳原町史」(1997年(平成9年)3月31日発行 厳原町)p.185
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 厳原北小学校ホームページ(ただし内容は「ブログ」と同等)