寺田三郎兵衛
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寺田 三郎兵衛[1](てらだ さぶろべえ、旧姓・川上[2]、前名・豊通[2]、1879年(明治12年)1月16日[3] - 没年不明)は、日本の商人(稲元屋、呉服商[2][4][5])。神奈川県多額納税者[2][6]。
人物
[編集]神奈川県高座郡藤沢町(現藤沢市)出身。川上九兵衛の長男[2][5]。1892年、寺田満重の養子となり1917年、前名・豊通を改め1921年、家督を相続した[2][5]。
稲元屋と称し、呉服商を営み、県下の多額納税者であった[2][5]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[3]。住所は藤沢[7]。
家族・親族
[編集]- 寺田家
旧稲元屋呉服店は初代寺田三郎兵衛が弘化2年に創業、昭和初期には「湘南の三越」ともいわれていた。
- 養父・満重[2][5]
- 妻・マン(1878年 - ?、養父・満重の長女)[2][5]
- 養子・琳造(1903年 - ?、二女・祺子の夫、高橋儀三郎の七男[2]、あるいは六男[4][5])
- 二女・祺子(1907年 - ?)[2]
- 三女、四女[2][5]
- 孫[4][5]
脚注
[編集]- ^ 『大日本紳士名鑑』神奈川県11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第11版 下』テ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月6日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』76頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月6日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』テ13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 下』テ13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月8日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第32版』附録 全国多額納税者 神奈川県 兵庫県13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月6日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第44版』神奈川テ、トの部48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月9日閲覧。