富田愿之助
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富田 愿之助(とみた げんのすけ、1865年1月1日(元治元年12月4日[1]) - 1927年(昭和2年)3月8日[2])は、衆議院議員(政友本党)、医師。
経歴
[編集]肥前国彼杵郡広田村(現在の長崎県佐世保市)出身。1888年(明治21年)、東京帝国大学医科大学別科を卒業[3]。佐世保で医院を開業し、村会議員となり、市制施行後は市会議員、さらに市会議長として1914年(大正3年)までその職にあった[4]。その後、県会議員、県参事会員に選ばれた。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その他、西部合同瓦斯株式会社・五島電灯株式会社・有川電灯株式会社取締役、壱岐電灯株式会社監査役を務めた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 三内金左衛門『佐世保大観』佐世保時事社、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。