コンテンツにスキップ

富樫豊弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
富樫豊弘
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 元亀元年(1570年)5月24日
別名 豊弘侍者
氏族 富樫氏
父母 父:富樫晴貞
兄弟 小杉晴友輝光(輝上)豊弘大桑晴光、祖雲和尚
テンプレートを表示

富樫 豊弘(とがし とよひろ)は、戦国時代武将

富樫氏26代当主[1]富樫晴貞の三男として誕生。

元亀元年(1570年)、織田信長に呼応して本願寺勢力と敵対する。居城・野々市城に拠り父・晴貞らと共に一向一揆と戦うが敗れ、晴貞は大乗寺へと逃れ、長兄・富樫晴友は越中へと脱出するが、豊弘は野々市に残り、襲ってくる一向一揆相手に衆寡敵せず討死した。

脚注

[編集]
  1. ^ 富樫高家から数えると17代当主。