富岡興永
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とみおか おきなが 富岡 興永 | |
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2008年8月16日撮影 | |
生誕 |
1928年6月26日 日本 東京都 |
死没 | 2012年7月20日(84歳没) |
出身校 | 國學院大學 |
職業 | 神職 |
著名な実績 | 富岡八幡宮宮司 |
親 | 富岡盛彦 |
家族 |
富岡長子(長女) 富岡茂永(長男) |
富岡 興永(とみおか おきなが、1928年〈昭和3年〉6月26日[1] - 2012年〈平成24年〉7月20日[2])は、日本の神職。富岡八幡宮宮司(第19代)。
来歴
[編集]富岡盛彦・好子[3][4]の次男として[5]東京都に生れる[1]。別名宰一郎か[3][注 1]。1950年、國學院大學の旧制哲学科を卒業。同年、電通に入社。
1959年、京都府宮津市にある籠神社の禰宜となる。時期は不明だが、同神社宮司の海部穀玄の長女と結婚した。
1960年、東京都に戻り富岡八幡宮の禰宜となる[1][6]。
1974年9月9日、父の富岡盛彦が死去。同年、父の後継として富岡八幡宮第19代宮司に就任[6]。
1994年10月に宮司退任。1995年3月、長男の富岡茂永が宮司となり、興永は名誉宮司となった。
2001年5月、茂永は素行の悪さを理由として宮司を解任される。同年、興永は宮司に再任した[7][8][9]。引退前後にブラジルから文化功労章を受章する[4]。また、韓国精神文化院からは登載者に薦められることもあった[4]。國學院大學評議員も務めた[4]。
2010年10月、体調を崩し再び退任。翌2011年1月25日付で名誉宮司となる[10][11]。興永は後継に長女の富岡長子を指名。富岡八幡宮の責任役員会が神社本庁に長子の宮司就任を具申したが、認められなかった[12]。
2012年7月20日、死去[2]。84歳没。墓所は多磨霊園[13]。
人物
[編集]訳書『回天の聖者』もある[14]。趣味は囲碁、釣り、園芸、古民具などだった[4]。
家族
[編集]- 祖父:富岡宣永[15]。第17代宮司。
- 父:盛彦[3]。第18代宮司。
- 母:好子(1897年 - ?)。中村高等女学校[要曖昧さ回避]卒業[3][4]。
- 姉:美枝(1923年 - )。佐原高等女学校卒業[3]。
- 兄:邦臣(1926年[3] - ?)。早稲田大学卒業[3]。1946年10月15日、富岡八幡宮禰宜を務めていた際に、宮司を務めていた祖父・宣永と共に、浅沼稲次郎宛の社務所書簡の作成者となる[16]。若年の内に境内地にて自殺[17]。
- 妹:昌子(1931年[3] - ?)。東京家政学院卒業[3]。歯科医の妻となる[4]。
- 妻:聡子(聰子)(1930年4月20日 - )[4]。元籠神社宮司の海部穀玄の長女[18][19][注 2]。宮津高等女学校卒業[4][19]。富岡八幡宮の責任役員を務める。2018年に同責任役員を退任。
- 長女:長子(1959年11月4日[4] - 2017年12月7日[21])。青山学院大学通学[4]。2017年9月28日付で富岡八幡宮を神社本庁から離脱させたあと、単立の状態で宮内で第21代宮司として認められる[12][21][22]。富岡茂永によって殺害された[21]。
- 長男:茂永(1961年2月7日[4]- 2017年12月7日[21])。皇學館大学卒業[4]。第20代宮司[4]。長子を刺殺後、自殺した[21]。
- 二女:小林千歳(1968年10月29日 - )[4][23]。和洋女子大学短期大学部卒業[4]後、電通勤務[4]。2018年より富岡八幡宮の責任役員を務める。
訳書
[編集]- 『回天の聖者 大巡典経日本語訳 新訂版』李祥昊編著 富岡興永訳 丘書房、1994
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 『神道人名辞典』神社新報社、1986年。 515頁
- ^ a b “悲しいお知らせ”. ひふみともこの「ひふみのつどい」 (2012年8月25日). 2024年1月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『昭和人名辞典II』第1巻 東京篇 1989年第一刷、1993年第二刷、559頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『人事興信録 第39版』1997年、と59頁
- ^ 読売新聞、1974年9月11日夕刊
- ^ a b 『現代日本人名録98 3』日外アソシエーツ、1998年。 762頁
- ^ 『人事興信録』 2006年。
- ^ 富岡八幡宮殺傷事件 容疑者から?届いた1万字怨念“遺書”「祟り続ける」サンスポ。
- ^ 平成13年夏号
- ^ 富岡八幡宮斬殺 弟の積年の恨みと凶行へのスイッチ
- ^ “『富ヶ岡』平成23年春号”. 富岡八幡宮. 2024年1月18日閲覧。
- ^ a b “姉弟間で過去にもトラブル=宮司人事で神社本庁離脱も-富岡八幡宮”. 時事ドットコム (2017年12月8日). 2018年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月18日閲覧。
- ^ “富岡興永”. www6.plala.or.jp. 2024年12月6日閲覧。
- ^ 『日本書籍総目録』2001
- ^ 『神道人名辞典』1986年。212頁
- ^ 浅沼稲次郎関係文書 44頁
- ^ “岡八幡宮斬殺 賽銭泥棒、ホスト、不敬事件…放蕩の裏側”. NEWSポストセブン (2017年12月15日). 2024年1月19日閲覧。
- ^ 『國學院大學圖書館収蔵神道書籍解說目録 1』1960 年、74頁。
- ^ a b 『人事興信録 第44版』2007年、と46頁。
- ^ 『神道人名辞典』1986年、339-340頁。
- ^ a b c d e “富岡八幡宮殺人 チャンバラ好きの弟が日本刀で宮司の姉の首を斬った本当の動機”. AERA dot. (2017年12月9日). 2024年1月18日閲覧。
- ^ “年間収入数十億円の「富岡八幡宮」ファミリー 殺人に発展した姉弟の確執”. デイリー新潮 (2017年12月21日). 2024年1月23日閲覧。
- ^ “【独占入手】富岡茂永容疑者が犯行前に送った手紙全文!富岡長子さんへの誹謗中傷「死後に於いてもこの世に残り怨霊となる」「父は宇宙人と遭遇」”. TOCANA (2017年12月11日). 2024年1月19日閲覧。