富士薬品 (広島県)
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富士薬品株式会社(ふじやくひん)は、医薬品の卸売を中心とする日本の企業であった。現在はアルフレッサ ホールディングスグループの一社「ティーエスアルフレッサ」である。
概要
[編集]- 1945年(昭和20年)9月 - 韓国の中外製薬京城(現:ソウル)支店から引き揚げてきて同社の松永工場(現在は閉鎖)に勤務していた創業者の浦田盛が会社を退職し、1947年(昭和22年)4月に「不二薬品」を創業。
- 1949年(昭和24年)4月 - 「株式会社不二薬店」に商号変更。国立大竹病院・マツダ病院・広島赤十字・原爆病院・県立広島病院・広島逓信病院・広島記念病院・国立療養所原病院等の比較的大病院との取引関係が強く、開業医はそこそこで、薬局・薬店へは全くといってよいほど取り引きがない状態だった。その後、福山分室(広島県福山市御門町1-1-29)を開設。
- 1962年(昭和37年)2月 - 資本金を250万円に増資して「富士薬品株式会社」に商号変更。
- 1964年(昭和39年)10月 - 中外製薬の働きかけで「有限会社広島中央薬局」の卸部門に関する営業権を譲り受け、資本金を2,000万円に増資した。「中央薬局」の従業員40名の内20名が「富士薬品」に移籍した。
- 代表取締役社長に浦田盛、代表取締役副社長に山吉雙一が就任する。
- 八紅産業との合併直前の1965年(昭和40年)3月末の売上高は3億6,600万円であった。
会社概要
[編集]沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)4月 - 「不二薬品」創業。
- 1949年(昭和24年)4月 - 「株式会社不二屋薬店」へ商号変更。
- 1952年(昭和27年)4月 - 資本金100万円で「有限会社富士薬品商会」設立。
- 代表取締役社長・浦田盛 取締役・浦田一二三・枝広千一郎・金井春夫・遠部泰業・三宅福太郎 監査役・渡辺利忠・川地辰之介
- 1962年(昭和37年)2月 - 「有限会社富士薬品商会」から「富士薬品株式会社」へ商号変更
- 1964年(昭和39年)10月 - 「有限会社広島中央薬局」の卸部門を譲受し資本金1,000万円に増資
- 代表取締役社長・浦田盛 代表取締役副社長・山吉雙一 取締役・山吉胎二・田川久三・枝広千一郎・金井春夫 監査役・川地辰之介
- 1965年(昭和40年)4月 - 広島県広島市の「八紅産業株式会社」と合併し「成和産業株式会社」(現:「ティーエスアルフレッサ株式会社」)に商号変更
営業所
[編集]- 広島市・福山市
主な取引メーカー
[編集]- 中外製薬
- 武田薬品
- 山之内製薬
- 明治商事
- 鳥居薬品
- 三共
- 第一製薬
- 興和新薬
- 台糖ファイザー
- 大塚製薬