宮越郷平
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宮越 郷平(みやこし きょうへい、1928年4月25日[1] - 2013年6月23日[2])は、日本の作家。秋田県出身。本名、道晃(どうこう)。
来歴・人物
[編集]1928年(昭和3年)、西仙北町刈和野(現:大仙市)生まれ。秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)[3]、1948年(昭和23年)駒澤大学予科卒業。同年駒澤大学国文科中退。舞台芸術学院修了後、舞台座に入団。その後、小学校教員を経て角館南高校教諭、県教育庁社会教育課長、県生涯学習センター所長。秋田県コミュニティ・カレッジ学長を経て、秋田県社会教育委員連絡協議会長を歴任[4]。
1955年(昭和30年)から1966年まで魁新年文芸に「ある挿話」など入選8回。その間、中編小説に「夜ぶりの頃」が第一席、「河岸段丘」が『家の光』連載小説で佳作。文芸秋田、角館文学の同人として「河の村」「冬の虹」「黒い花火」ラジオ小説「湖のほとり」などを発表[5]。
1991年(平成3年)「小説・秋田屋伝蔵」で第8回さきがけ文学賞選奨、1994年小説「幻氷の岬」で第11回秋田市文化選奨[6]、1995年「冬の航跡」で第12回さきがけ文学賞受賞。2004年秋田市文化章、2007年「木漏れ月」で秋田県芸術選奨を受賞。
ほか著書に「蜻蛉の川」「白木蓮」「さくら坂」など多数[7]。
作品
[編集]- 『秋色燃ゆ 画家一木弴のこと』アキタパーク美術館 1993.1
- 『心眼の画家 菊池良爾』アキタパーク美術館 1993.7
- 『幻氷の岬 アイヌ語通辞・秋田屋伝蔵 小説』無明舎出版 1993.10[8]
- 『東海林太郎―不滅のアリア』 (あきたさきがけブック―音楽シリーズ No.11)秋田魁新報社 1994.1(阿仁前田小作争議)
- 『石田玲水 : 和顔愛語の生涯』アキタパーク美術館 1995.5
- 『白い絵 : 短編集』アキタパーク美術館 1995.6
- 『長瀬 直諒 : その出逢った人々』アキタパーク美術館 1996.10
- 『冬の航跡』秋田魁新報社 1997.6
- 『蜻蛉の川 : 亀田藩お田の方』秋田魁新報社 1998.7
- 『戊辰挽歌』カッパンプラン 1999.10
- 『蜻蛉の川』秋田魁新報社 2000.2
- 『心・魂・情・念のうねり : 劇作家野口達二』演劇出版社 2001.2[9]
- 『白木蓮』文芸秋田社 2001.7
- 『さくら坂 : 短編集』文芸秋田社 2004.7
- 『刈和野あの頃』宮越郷平 2004.10
- 『千秋の鐘ものがたり』あきたさきがけブックno.36「歴史物語」シリーズ1秋田魁新報社 2006.3
- 『木洩れ月』無明舎出版 2006.10
- 『曠野夢幻』秋田魁新報社 2008.12(題材:満州開拓移民)[10]
- 『続・曠野夢幻』秋田魁新報社 2010.6[11][12]
- 『トトトツート』無明舎出版 2011.7
受賞
[編集]- 1991年:第8回さきがけ文学賞選奨「小説・秋田屋伝蔵」
- 1994年:第11回秋田市文化選奨(文芸)「幻氷の岬」[13]
- 1995年:第12回さきがけ文学賞「冬の航跡」
- 2004年:秋田市文化章(文芸)[14][15]
- 2007年:秋田県芸術選奨「木漏れ月」
出典
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.567
- ^ 国立国会図書館. “宮越郷平1928-2013”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ ふるさと呑風便. “「東海林太郎物語」(1) 宮越郷平氏(作家)2004.2”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ あきた(通巻111号) 1971年8月1日発行. “宮越郷平氏”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ あきた. “宮越郷平(角館南高校教諭)1965年6月1日”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 秋田市. “文化選奨受賞者一覧”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 駒澤大学. “活躍する同窓生”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ honto. “「幻氷の岬 アイヌ語通辞・秋田屋伝蔵 小説」”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 小学館. “宮越郷平”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 飯田日中友好協会. “お薦めの近書”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 秋田魁新報社. “小説”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 秋田県点字図書館. “点字図書”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 秋田市. “文化選奨受賞者一覧”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 秋田市. “秋田市文化章および文化功績章受章者一覧”. 2020年2月23日閲覧。
- ^ 広報あきた2004年10月22日号. “平成16年 秋田市文化章”. 2020年2月23日閲覧。