宮川 四郎兵衛(みやがわ しろべえ、承応2年(1653年) - 元文5年1月16日(1740年2月13日))は、江戸時代前期-中期の豪商、新田開発者[1]。名は言胤[1][2]。
越後国柏崎町の豪商[1][2]。越後国岩船・蒲原・三島・刈羽・魚沼の5郡で新田開発を行い、新村52村を拓き、江戸時代初期の御用商人河村瑞賢に準えて「越後瑞賢」と称された[1]。のち高田藩より名字帯刀を許され、大肝煎となる[2]。