宮城県多賀城高等学校
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宮城県多賀城高等学校 | |
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北緯38度18分8.6秒 東経141度1分32.8秒 / 北緯38.302389度 東経141.025778度座標: 北緯38度18分8.6秒 東経141度1分32.8秒 / 北緯38.302389度 東経141.025778度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮城県 |
校訓 | さとく、ゆたかに、たくましく |
設立年月日 | 1976年(昭和51年)4月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 災害科学科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D104212090018 |
高校コード | 04115H |
所在地 | 〒985-0831 |
宮城県多賀城市笠神二丁目17番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
宮城県多賀城高等学校(みやぎけん たがじょうこうとうがっこう)は、宮城県多賀城市笠神二丁目にある県立高等学校[1]。
概要
[編集]1976年(昭和51年)全日制普通科高校として開校。2011年に発生した東日本大地震後に、震災から学んだ教訓を確実に次世代に伝承する等の目的で、2016年に災害科学科が設置された。[2]防災系学科としては,兵庫県の舞子高等学校環境防災科に次いで全国では2例目である。
卒業後の進路は大学進学が多数を占める。通称は「多高」(たこう)。
通学者は、多賀城市・塩釜市からが多数を占めるが、仙台市からの通学者も少なくない。
交通
[編集]沿革
[編集]- 1976年(昭和51年)4月 - 開校式並びに第1回入学式。
- 1978年(昭和53年)3月 - 校歌制定。
- 1979年(昭和54年)9月 - 第1回文化部発表会。
- 1985年(昭和60年)10月 - 創立10周年記念祝典並びに祝賀会挙行。
- 1988年(昭和63年)4月 - 1学年学級増。9学級・定員男女405名となる。
- 1990年(平成2年)9月 - 第1回文化祭。
- 1992年(平成4年)4月 - 1学年学級減。8学級・定員男女360名となる。
- 1995年(平成7年)
- 4月 - 8学級・定員男女344名となる。
- 10月 - 創立20周年記念式典並びに祝賀会挙行。
- 1996年(平成8年)4月 - 8学級・定員男女320名となる。
- 1999年(平成11年)4月 - 1学年学級増。9学級・定員男女360名となる。
- 2000年(平成12年)4月 - 1学年学級増。9学級・定員男女360名となる。
- 2001年(平成13年)4月 - 8学級・定員男女320名となる。
- 2005年(平成17年)4月 - 7学級・定員男女280名となる。
- 2006年(平成18年)7月 - 校舎改修工事着工。
- 2008年(平成20年)4月 - 制服のデザイン変更。
- 2016年(平成28年)4月 - 災害科学科が設置[1][広報 1]。
校風
[編集]- 教訓
- さとく…自己のもつ可能性を見いだして、その伸長と実現を図るとともに、真・善・美を追求し、広く調和のとれた教養を身につけるよう努める。
- ゆたかに…正しく自己を愛し、他をも愛する豊かな愛情を育て社会に奉仕する精神を養い、互いに信頼あえる誠実な人となるよう努める。
- たくましく…心身の健康こそはすべての生活の根源である。
- 清潔で健康な生活を送ることを心がけるとともに進んで心身を鍛え、明るく清くどんな困難にであってもくじけない強固な意志力を強靱な体力を身につけるよう努める。
- 学科
- 進路
- 部活動
- 行事
- 球技大会(6月)、多高祭(9月)、体育祭(10月)は多高三大行事と呼ばれる。これらは生徒会が中心ではなく、開催に意欲のある有志が中心となり実施される。平成18年度の体育祭は有志が集まらず中止となった。
主な卒業生
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 中林加南子 (2016年4月9日). “「災害科学科」38人でスタート 多賀城高”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 宮城全県版
- ^ a b “宮城県多賀城高等学校災害科学科開設式について”. 宮城県. 2022年8月4日閲覧。
- ^ “宮城県多賀城高等学校Webサイト 進路”. 宮城県多賀城高等学校. 2022年8月4日閲覧。
広報資料・プレスリリースなど一次資料
[編集]- ^ 『みやぎ県政だより』平成27年7・8月号(2015年)、25頁。