宮城温子
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みやぎ はるこ 宮城 温子 | |
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生誕 |
1977年12月31日(47歳)![]() |
国籍 |
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職業 | ピアニスト |
活動期間 | 1982年(昭和57年) - |
著名な実績 | 青少年ホロヴィッツ記念国際ピアノコンクール |
配偶者 | 宮城史門 |
宮城 温子(みやぎ はるこ、1977年(昭和52年)12月 - )は、日本のピアニスト。既婚。旧姓は内山。寺家出身で、曹洞宗の得度を得ているほか[1]、SOTO禅インターナショナルや日本脱カルト協会といった宗教二世問題を扱う団体でも活動し、2023年には宗教奉仕者のための労働組合を結成している[2][3]。演奏グループQuadruple(クワドラプル)主宰。
来歴
[編集]愛知県生まれ、静岡県浜松市出身[4]。幼少期より疋田範子や昭和音楽大学教授などを務めた中島和彦に師事し、ヤマハ四ツ池センター音楽教室でソルフェージュ・作曲を習う[5]。中学校在学中にJPTA教育連盟ピアノ・オーディション「リスト・バルトーク」全国大会ファイナリスト。
浜松市立高校在学中、第48回全日本学生音楽コンクールピアノ部門高校の部東京大会第1位に入賞[5]。浜松国際ピアノアカデミーを修了後、桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻に進学し、1997年キーウで開催された青少年ホロヴィッツ記念国際ピアノコンクールにて1位なしの第3位に入賞[6][5][注釈 1]。日本人女性としては最初の受賞歴となった[7][4]。2000年には長野県県民文化会館において東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団との共演のコンサートを開催した[8]。
コンクール入賞後、大阪音楽大学大学院に進むが中退。とよなか国際交流協会嘱託職員を経て2006年慶應義塾大学文学部卒業。
人物
[編集]- 片耳難聴である。鍼治療を試みるも、骨伝導でも聴こえない重度の難聴であったことから、聴こえる側を徹底的に訓練し、オーディションのためのレコーディングの際は事前に録音したり聴こえる者に確認するなど工夫していたという。
- 鈴木俊隆[9]、徳増ないる、鷺巣詩郎は親類。
- 2023年4月に行政書士の宮城史門と結婚。
脚注
[編集]- ^ “Facebook”. 内山 温子 (2022年5月7日). 2025年1月19日閲覧。
- ^ 「寺院に学ぶコミュニティデザイン」『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』第11巻。
- ^ 「寺院における危機管理とその方法 : 個人つみたてのすすめ」『曹洞宗総合研究センター学術大会紀要』第13巻。
- ^ a b “修了生の活躍”. 浜松国際ピアノアカデミー. 2025年1月5日閲覧。
- ^ a b c 主宰者PROFILE Étoiles2018ホームページ 2025年1月5日閲覧
- ^ “Facebook”. 内山 温子 (2022年8月1日). 2025年1月19日閲覧。
- ^ 『音楽の友 1997年7月号』音楽之友社、1997年7月1日、298頁。
- ^ “Facebook”. 内山温子 (2017年12月18日). 2025年1月19日閲覧。
- ^ “Memorial Service for Suzuki Roshi’s Sister”. San Francisco Zen Center (2012年9月28日). 2025年1月6日閲覧。