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宮地豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮地 豊(みやじ ゆたか、1961年8月20日 - )は、日本実業家八木橋百貨店(株式会社八木橋)の従業員。

ビートルズの愛好家で、アイデアマンとしても知られる。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身[1]。  

来歴

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生まれたのは浦和市だが、小学生の頃に熊谷市近辺に移り住んだという[1]。小学生だった1968年に、解体される蒸気機関車を見て、国鉄大宮工場へ機関車の寄贈を求める手紙を送ったがその時点では返答はなく、かわりに子供会で大宮工場へ招待された[要出典]。1972年11月に国鉄からC58蒸気機関車の寄贈が決まり、吹上町立吹上小学校に保存されることとなる[2][注釈 1]

1973年に、WINGSの「JET」を聴き 音楽に目覚める。1980年1月16日に来日したポール・マッカートニーが大麻取締法で逮捕された際には、新橋の仮留置場に毎日通ったという。[要出典]1983年1月には渡英してアディルフィーホテル(リバプール)にて「GET BACK」等を演奏。」日本人で初めてリバプールでビートルズソングを演奏したといわれる[1]

大学で経済学を専攻した後、1983年[要出典]、株式会社八木橋に入社した[1]。当初はメンズカジュアル化粧品を担当した[要出典]。その後も紳士服などの売場で長く勤務した[1]。2002年に販売促進部へ異動し、企画担当となる[1]。「おやじバンド大会」、「Negicco感謝祭」、「HTBショップ」など他店で見られない企画を行う[1]

2007年には、熊谷市の「あついぞ!熊谷」事業に協賛した大温度計を八木橋が直実商店街とともに設置した際には、その発案者の一人となった[4]。その年の8月16日に、熊谷市では当時の気象庁観測日本最高気温を記録した[4]。同年の新語流行語大賞を「猛暑日」で受賞する[5]

2013年、シンコーミュージックのムック『ランキング! ザ・ビートルズ』で、ミュージシャンやライターに混ざり、ランキング選定する「ビートルズの達人」100人の一人に選ばれる[1]

2014年、テレビ埼玉たまたま」ドキュメントSP「埼玉県で たぶん唯一ポール・マッカートニーに4回会った男 宮地 豊」が放送される[1]

「あついぞ!熊谷」事業終了に伴い、2017年限りで前記の大温度計が撤去されることになっていたが、市民の要望で翌年以降も存続となる[4]。このとき埼玉新聞の報道で宮地は「熊谷の認知度をこの温度計によって全国に広めたと自負している」と述べた[4]。2018年に、「熊谷夏の陣」とタイトルを変えてリニュアル大温度計が設置された[6]。7月23日に再び日本最高気温41.1度を記録[6]。2019年時点では執行役員となっていた[6]

2021年に定年を迎え、初のエッセイ「ビートルズ中毒症候群」をAmazon電子書籍で発売した[要出典]。ただし、定年後の2022年時点でも「営業推進 販促・企画シニアアドバイザー」の肩書きで八木橋に勤務している[7]

脚注

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注釈

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  1. ^ この機関車は1987年に、翌年の'88さいたま博覧会を記念して復元の上、秩父鉄道パレオエクスプレスとして運行されている[3]

出典

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