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宝生金五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宝生 金五郎(ほうしょう きんごろう)は、幕末から明治期にかけて、ワキ方宝生流下掛宝生流)家元で用いられた名。

七世

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6世宝生新之丞英勝の子。8世宝生新朔と9世宝生金五郎英周の父。

九世

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九世 宝生 金五郎(ほうしょう きんごろう、1841年6月6日天保12年4月17日) ‐ 1905年明治38年)2月21日)はワキ方宝生流能楽師[1][2]。本名は英周[1][2]。通称は英五郎[2]

経歴

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宝生流の9世家元で[1][2]、実兄で8世家元の宝生新朔(喜勢太郎英才)や実父の7世家元宝生蕃弥(金五郎)から能楽を学んだ[2]。後に「ワキ方の名人」と呼ばれた[1][2]。新朔は実兄で準養子[1][2]宝生新は息子[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『宝生金五郎』- コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h 新撰 芸能人物事典 明治〜平成(日外アソシエーツ)『宝生 金五郎』- コトバンク