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宗教的排他主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宗教的排他主義(しゅうきょうてきはいたしゅぎ、: Religious exclusivism)とは、一つの宗教だけが真理であるとする教義教理である[1]。ある宗教が競合する他の宗教より優れているとの主張は宗教的排他主義である[2]

論争中の宗教的真実の主張に関して、任意の宗教的視点が、競合する他のすべての宗教的視点より優れていることを否定しているときのみ、宗教的排他主義者でないと認めることができる。ある宗教間の真実の主張に関して、単一の宗教的視点が他のすべてに優ることはないと主張するだけでなく、宗教間で異なる真実について平等に肯定的な主張をしているときのみ、宗教的多元主義者であると認められる[2]

キリスト教

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キリスト教における宗教的排他主義者はアリストテレスの「真実は一つであり、多数ではない」という概念を用いて、キリスト教の啓示が真実であると認めるとの前提にたち、他の宗教的主張を無効とみなす[3]。宗教的排他主義者の中でも穏健派は非キリスト教の宗教の中にも何らかの徳があると考える[4]

宗教的包括主義者は宗教的排他主義者と同じく救済はキリストのみによるが、テモテへの手紙一2:4を引用して神は全人類が救われることを望んでいることを強調する。

神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます — テモテへの手紙一 2:4 新共同訳

神はキリストのみによって人々を救うが、それを全人類に拡大する方法によって可能となると主張する[4]宗教的包括主義も他の宗教から見れば、傲慢な宗教的排他主義と受け止められうる。ヒンドゥー教徒やイスラム教徒も含む全ての人類が自覚なしにキリストによって救われると説くならば、包括主義も排他主義に映ることになる[4]

カトリックとプロテスタント

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カトリックは第2バチカン公会議(1962-1965)において、「キリスト教の教えに納得できない者やキリスト教を十分に理解していない者が洗礼を受けなくても、決して滅びることはない」という見解を示しており[5]、プロテスタントも「信仰をもっていない者のことも、神の愛に信頼して任せることができる」と考える教会が多くなっている[6]

一般恩寵

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排他主義の立場でも異教徒たちにも与えられる神の恵みとして、救済的ではない一般恩寵が認められてきたのであり、ジョン・グレッサム・メイチェンは、異教に救済がないとはしているが、異教徒たちの中に優れた文化があることは賞賛し、異教が無価値であるとはしていない。[7]

神道

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崇仏・廃仏論争において物部尾輿中臣鎌子らは「我が国の王の天下のもとには、天地に180の神がいます。今改めて蕃神を拝せば、国神たちの怒りをかう恐れがあります[8]」と反対したが、私的な礼拝と寺の建立が認められた。しかし直後に疫病が流行し物部・中臣氏らは「仏神」のせいで国神が怒っているためであると奏上。欽明天皇は仏像の廃棄、寺の焼却を黙認したという[9]

宗教学者ジョン・ネルソンによると神道の儀式は、常に政治権力の神聖化に利用されてきた。身近な神社の象徴、儀式、概念の深層にはナショナリズム(絶対主義排他主義権威主義)の要素が潜んでおり、神道がナショナリズム復活のために利用されることで、個人の自由や法的権利が少数のエリートによって脅威と見なされる危険があることを指摘している[10]

道教

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道教に傾倒した武宗道士の提言をいれ、異教徒である仏教の寺院の廃毀と財産没収、僧尼の還俗を断行している[11]仏教のほかに「唐代三夷教」(マニ教ゾロアスター教ネストリウス派キリスト教)も禁止された[12]

儒教

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南朝顧歓韓愈たち儒者道士は、仏教を夷狄の宗教として排仏論を提唱、孟子が〈吾夏をもって夷を変ためし者を聞けども,夷によって変ためられし者を聞かざるなり〉とのべているように、華夏による一方的な教化の対象となるべきものであった[13]三武一宗の法難のうち後周を除く三廃仏では、儒教を基本としたうえで、異教徒である仏教勢力の弾圧が認められた[11]仏教出家主義と剃髪の風習が「」の倫理にもとるとの攻撃が行われ、仏説の非現実性、三世輪回説、応報説、天堂地獄説などにも批判が行われた[14]

仏教

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仏教では、仏教以外の宗派の教説を異端と見なし「外道」と呼んでおり、仏教を「内道」と呼んでいる[15]外道は異教、悪魔や邪道を指すことにも用いられ、人を罵るために使われてきた[16][17]

スリランカ歴史に関する神話マハーワンサには仏教戦士ドゥトゥガムヌとその軍隊が500人もの仏教僧に支えられて良き支配者であったエララ王を打倒、数千人のタミール人を殺したことを嘆き、慰めに来た8人の阿羅漢(釈迦の悟りを開いた弟子)たちは「獣にも劣るタミールの不信心者(エララとその仲間)を殺しただけだから本当の罪はない」と答えた[18][19][20][21]釈迦がスリランカを訪れた際、「征服者」として仏教に敵対する勢力であるヤッカ(島の非人間的住民・亜人として描かれている)を「心に恐怖」を与えて故郷から追い出し、やがて彼の教義が「栄光に輝く」ようにしたという話がマハーワンサで語られている[22]

仏教学者は「たとえ仏教を聞いたことがなくても、本当に悟りを得たい人は誰でもすぐに悟ることができるという提案は、不信感を引きおこし、憤りを持って受け取られる可能性が高い」と述べている[23]

イスラーム

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イスラームにおいても、『イスラーム以外の信仰はすべて無価値な誤った教えであり、地獄に落ちる』と主張する過激な考えが存在している。[要出典]

その他の宗教

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その他の宗教においても、排他主義的言説を唱える団体が存在している。

排他主義の各国比較

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各国の価値観を比較した調査では、日本や無神論が強いとされる中国は他宗教に対して排他的な姿勢を示している。プロテスタント国家とされるアメリカカトリックが多いとされるブラジルムスリムが多いとされるパキスタンは相対的に他宗教に寛容である[24]

アメリカ人の79.8%、ブラジル人の79.1%は他宗教の信者も道徳的と回答しているのに対し、日本人は12.6%が他宗教の信者も道徳的と回答しており、日本では他宗教より優れた道徳を持つと考える宗教的排他主義が根強い[24]

各国の他宗教への寛容度、各国の他宗教への嫌悪度[24]
他宗教の信者を信頼する(%) 他宗教の信者も道徳的(%) 他宗教の信者と隣人になりたくない(%) 移民・外国人労働者と隣人になりたくない(%)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 69.0% 79.8% 3.4% 13.8%
ブラジルの旗 ブラジル 57.5% 79.1% 3.4% 2.6%
パキスタンの旗 パキスタン 26.7% 48.8% 23.8% 20.9%
インドの旗 インド 50.0% 60.7% 28.4% 47.1%
中華人民共和国の旗 中国 9.1% 13.5% 9.2% 12.2%
日本の旗 日本 10.1% 12.6% 32.6% 36.3%

比較宗教学による考察

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排他主義の立場をとる人々には、概して布教に熱心な人が多い。これは、自宗教のみに救いがあるという思想を彼らが持っていることから、他の人に救いの可能性を広めることを使命と感じている場合が多いからである。

前近代においては、宗教と国家が強く結びついており、国家間・民族間の戦争は往々にして『神と神の』もしくは『宗教と宗教の』戦いの色彩を帯びざるを得なかった。また人類という共同体意識も皆無に近かった。そのため宗教的排他主義も現代に比して強く現れることが多かった。

なお、排他主義という言葉から一部に誤解があるが、宗教的排他主義とは、暴力的な手法を用いることを意味しているわけではなく、あくまでも思想の上で他宗教の価値を認めないということであり、特に現代では暴力には否定的な人々が多数派である。

排他主義は一神教特有の現象であって、多神教には存在しないという主張が、特に多神教の信奉者からなされることがある(多神教優位論)。しかし、歴史を見れば、日本における廃仏毀釈国家神道の思想や、インドにおけるヒンドゥー至上主義など、多神教の中にも排他主義的な面が色濃く現れることはあり、必ずしも一神教に特有な現象だとも言い切れない。また、そのような思想が広まる背景には、例えば貧困や搾取など、様々な政治・経済的な問題が絡んでおり、純粋に宗教的な理由だけで排他主義が広まるということはほとんどないと言える。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ William J. Wainwright (2005), Oxford University Press, p. 345, ISBN 9780195138092, The Oxford handbook of philosophy of religion
  2. ^ a b Byrne, P., 2011, “A Philosophical Approach to Questions about Religious Diversity,” in The Oxford Handbook of Religious Diversity, C. Meister, (ed.), Oxford: Oxford University Press, pp. 29–41.
  3. ^ Ken Gnanakan, The Pluralistic Predicament (Bangalore: TBT, 1992), p. 23
  4. ^ a b c Domenic Marbaniang (2007), Theology of Religion: Pluralism, Inclusivism, and Exclusivism, ACTS Academy paper, Bangalore. pp. 1-8
  5. ^ クリスチャン神父のQ&A - カトリック松原教会 2014年10月31日閲覧。
  6. ^ キリスト教の土壌から生まれたキリスト教ではない新興宗教 日本基督教団浜松教会のサイト
  7. ^ ジョン・グレッサム・メイチェン『キリスト教とは何か-リベラリズムとの対決』いのちのことば社
  8. ^ 「我國家之王天下者 恆以天地社稷百八十神 春夏秋冬 祭拜為事 方今改拜蕃神 恐致國神之怒」日本書紀、仏教公伝
  9. ^ ブリタニカ・ジャパン 2021b, p. 「蘇我稲目」.
  10. ^ John Nelson (1992) Shinto ritual, Ethnos, 57:1-2, 77-104, DOI:10.1080/00141844.1992.9981447 p. 100. "To most japanese, especially those who lived through the trauma of the war, there is nothing overtly suspicious about such a public commemoration of "tradition". But to writers like Takeda Kiyoko (1989:11), a long-time observer of the Imperial Family, the complacent and uncritical acceptance of such a • highly-selective and highly-fashioned tradition - "in the depths of which lurk elements of absolutism, exclusivism, and authoritarianism" - leads back to a "sterile and unproductive past that is not only harmful but dangerous as well." Shinto rituals have always been used to sacralize political power in Japan and, to the extent that they continue to serve these ends for a variety of groups and institutions, need analysis from without as well as within the shrine community. It should not be surprising that the leaders of Japanese society, like leaders in other societies worldwide, see necessary a periodic rendez-vous with what they consider fundamental principles. But it should give pause to the average Japanese to consider just how many of the symbols, ceremonies, and concepts of their friendly neighborhood shrine are again being subdy coopted for nationalistic ends. If, as has happened so often injapan's long history, personal liberty, legal rights, and the degree of access people have to social institutions come to be seen as "threats" by a small but powerful elite, let us hope the lessons of more recent history "discipline" any and all forms of resurgent nationalism and the "chaos" it will inevitably leave in its wake."
  11. ^ a b 小学館 2021e, p. 「三武一宗の法難」.
  12. ^ 小学館 2021f, p. 「会昌の廃仏」.
  13. ^ 平凡社 2021e, p. 「排仏論」.
  14. ^ 平凡社 2021d, p. 「廃仏論」.
  15. ^ 平凡社 2021c, p. 「外道」.
  16. ^ 小学館 2021a, p. 「外道」.
  17. ^ 小学館 2021b, p. 「外道」.
  18. ^ DeVotta 2007, pp. 7–8.
  19. ^ Deegalle 2006, p. 153.
  20. ^ Chapter XXV THE VICTORY OF DUTTHAGAMANI”. lakdiva.org. 2016年2月20日閲覧。 “`From this deed arises no hindrance in thy way to heaven. Only one and a half human beings have been slain here by thee, O lord of men. The one had come unto the (three) refuges, the other had taken on himself the five precepts Unbelievers and men of evil life were the rest, not more to be esteemed than beasts. But as for thee, thou wilt bring glory to the doctrine of the Buddha in manifold ways; therefore cast away care from thy heart, O ruler of men!”
  21. ^ Grant, Patrick (2009-01-05). Buddhism and Ethnic Conflict in Sri Lanka. SUNY Press. pp. 48–51. ISBN 9780791493670. https://books.google.com/books?id=9XYNBQzYoYkC. ""The campaign against Elara is described at some length in the Mahavamsa, and it is clear that Dutthagamini does not move against Elara because the Tamil king was unjust, cruel, or tyrannical. The Mahavamsa points out that Elara was a good ruler, and, when he is killed, Dutthagamini has him cremated honorably, and erects a monument in his memory. In constructing the "Dutthagamini epic" as he does, Mahanama wants to make clear that the heroic task in hand is not the defeat of injustice but the restoration of Buddhism. The overthrow of the Tamil king is required first and foremost because Sri Lanka cannot be united unless the monarch is Buddhist. [...] The main point is the honor Dutthagamini brings "to the doctrine of the Buddha," and this greater good justifies the violence required to bring it about. [...] Mahanama's [author of the Mahavamsa] lesson for monarchs remains consistent: be as strong as you need to be to maintain the Buddhist state; be supportive of the Sangha and willing to defeat the enemy by force."" 
  22. ^ Bartholomeusz 2005, p. 50.
  23. ^ Buddhist Society (London, England)The Middle way, 1943, Volumes 45–47, p. 18.
  24. ^ a b c 堀江宗正編『現代日本の宗教事情<国内編I>』岩波書店、2018年、211頁

参考文献

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  • 小学館「外道」『精選版 日本国語大辞典』小学館、コトバンク、2021a。  精選版 日本国語大辞典『外道』 - コトバンク
  • 小学館「外道」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク、2021b。  日本大百科全書(ニッポニカ)『外道』 - コトバンク
  • 平凡社「外道」『世界大百科事典 第2版』平凡社、コトバンク、2021c。  世界大百科事典 第2版『外道』 - コトバンク
  • 小学館「外道」『デジタル大辞泉』小学館、コトバンク、2021d。  デジタル大辞泉『外道』 - コトバンク
  • Sun, Peter Liang Tek (2008). A Life Under Three Flags (PhD Thesis). University of Western Sydney 
  • 小学館「蘇我稲目」『精選版 日本国語大辞典』小学館、コトバンク、2021b。  精選版 日本国語大辞典『蘇我稲目』 - コトバンク
  • ブリタニカ・ジャパン「三武一宗の法難」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ブリタニカ・ジャパン、コトバンク、2021c。  ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『三武一宗の法難』 - コトバンク
  • 小学館「三武一宗の法難」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク、2021e。  日本大百科全書(ニッポニカ)『三武一宗の法難』 - コトバンク
  • 平凡社「排仏論」『世界大百科事典 第2版』平凡社、コトバンク、2021d。  世界大百科事典 第2版『排仏論』 - コトバンク
  • 平凡社「夷狄」『世界大百科事典 第2版』平凡社、コトバンク、2021e。  世界大百科事典 第2版『排仏論』 - コトバンク
  • 小学館「会昌の廃仏」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク、2021f。  日本大百科全書(ニッポニカ)『会昌の廃仏』 - コトバンク
  • Anagarika, Dharmapala (1965). Return to Righteousness: A Collection of Speeches, Essays and Letters of the Anagarika Dharmapala, ed. Ananda Guruge, The Anagarika Dharmapala. Birth Centenary Committee, Ministry of Education and Cultural Affairs, Ceylon 
  • DeVotta, Neil (2001). “The Utilisation of Religio-Linguistic Identities by the Sinhalese and Bengalis: Towards General Explanation”. Commonwealth & Comparative Politics, Vol. 39, No. 1: 66–95. 
  • DeVotta, Neil (2007). Sinhalese Buddhist Nationalist Ideology: Implications for Politics and Conflict Resolution in Sri Lanka. East-West Center Washington 
  • Tennakoon, Vimalananda (1963). “Buddhism in Ceylon under the Christian powers" 
  • Wijewardena (1953). The Revolt in the Temple. Sinha Publications 
  • Bartholomeusz, Tessa (2005). In Defense of Dharma: Just-War Ideology in Buddhist Sri Lanka (Routledge Critical Studies in Buddhism). Routledge 
  • Deegalle, Maheenda (2006). Buddhism, Conflict and Violence in Modern Sri Lanka. Routledge 

関連項目

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