安達清
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ベルリンオリンピックでの写真。左から西田・安達・大江[1] | ||||
選手情報 | ||||
ラテン文字 | Kiyoshi ADACHI[2][3] | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 陸上競技(跳躍競技) | |||
種目 |
棒高跳 走高跳 | |||
大学 | 早稲田大学 | |||
生年月日 | 1914年6月30日 | |||
没年月日 | 没年不明 | |||
身長 | 179 cm | |||
体重 | 60 kg | |||
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安達 清(あだち きよし、1914年〈大正3年〉6月30日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手。1936年ベルリンオリンピックに棒高跳で出場し6位入賞。
経歴
[編集]1933年、日本陸上競技選手権大会の走高跳で優勝(1m90)[5]。
1936年、ベルリンオリンピックに参加[6]。棒高跳種目に出場した日本選手は西田修平(早稲田大学OB)・大江季雄と安達の3人で、3人とも決勝に進んだ。西田・大江は「友情のメダル」のエピソードで知られるが、安達も4m00を跳んで6位に入賞している[4][7][8][9]。
1937年、日本陸上競技選手権大会の棒高跳で優勝(4m00)[10]。また、同年には関東学生陸上競技対校選手権大会の100メートルハードルで優勝している[11]。
1939年4月11日、土師清二(本名・赤松静太)の長女との結婚・養子縁組を行い、赤松姓となる[12]。
備考
[編集]脚注
[編集]- ^ “1936 Pole vault jumpers Shuhei Nishida, Kiyoshi Adachi and Sueo Oe of... News Photo”. Getty Images. 2020年9月24日閲覧。
- ^ 「Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上連盟、2016年、2019年10月10日閲覧。
- ^ “KIYOSHI ADACHI”. IOC. 2019年10月10日閲覧。
- ^ a b “早稲田大学競争部年譜 昭和10年~”. 早稲田大学競走部. 2019年10月25日閲覧。
- ^ “過去の優勝者・記録 男子走高跳”. 第103回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟 (2019年). 2020年9月24日閲覧。
- ^ “Kiyoshi Adachi Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月18日閲覧。
- ^ “激闘のベルリン五輪棒高跳び 2人が生んだ「友情のメダル」”. 毎日新聞社. 2020年9月24日閲覧。
- ^ “オリンピック入賞者 第8回~第11回(1924~1936)”. 日本陸上競技連盟. 2020年9月24日閲覧。
- ^ “1936年ベルリン大会 日本代表選手団入賞者一覧”. 日本オリンピック委員会. 2020年9月24日閲覧。
- ^ “過去の優勝者・記録 男子棒高跳”. 第103回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟 (2019年). 2020年9月24日閲覧。
- ^ “関東学生陸上競技対校選手権大会歴代優勝者”. 早稲田大学競争部年譜. 早稲田大学競走部. 2019年10月25日閲覧。
- ^ 「安達清君の結婚」『朝日新聞』1939年4月12日、11面。
- ^ “第16回瀬戸内市陸上競技記録会開催要項”. 瀬戸内市体育協会. 2021年11月25日閲覧。