安藤定次
表示
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
---|---|
生誕 | 天文9年(1540年) |
死没 | 慶長5年8月1日(1600年9月8日) |
別名 | 次右衛門(通称) |
戒名 | 了閑 |
主君 | 徳川家康(→松平信康) |
氏族 | 三河安藤氏(阿久和安藤家) |
父母 | 父:安藤家重 |
兄弟 | 基能、基定、家定、家次、定次 |
子 | 正次、正勝、一勝、定次ら |
安藤 定次(あんどう さだつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。三河安藤氏の分家阿久和安藤家の始祖。
略歴
[編集]徳川家康に仕え、永禄6年(1563年)の三河一向一揆に加わったが赦免される。家康の子松平信康にも仕え、信康の死後は石川数正や内藤家長に属した。天正18年(1590年)の小田原征伐では内藤軍に属し武功を挙げた。
慶長5年(1600年)、伏見城の戦いに目付として参戦し、敵に左の股を矢で射抜かれながらも奮戦したが、61歳で討死にした。「三河武士の鑑」と賞された。
系譜
[編集]出典
[編集]- 『日本史大辞典』(講談社)