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安藤信義

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安藤信義
時代 江戸時代後期
生誕 天明5年9月4日1785年10月6日
死没 天保14年12月25日1844年2月13日
改名 新次郎(幼名)、信義
戒名 最隆院殿憲誉遊岳道樹大居士
墓所 東京都杉並区永福栖岸院
官位 従五位下従四位下対馬守山城守近江守
幕府 江戸幕府 奏者番
主君 徳川家斉
陸奥磐城平藩
氏族 安藤氏
父母 父:安藤信厚、養父:安藤信馨
兄弟 信義永見為儔正室、津田正発室、
安藤信馨養女ら
養兄弟:信発
正室:津軽寧親
継室:立花鑑寿
養子:信由
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安藤 信義(あんどう のぶよし)は、江戸時代後期の大名陸奥国磐城平藩3代藩主。官位従四位下対馬守山城守近江守。対馬守系安藤家第8代。

生涯

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天明5年(1785年)9月4日(天明7年(1787年)とも)、安藤信厚の長男として誕生した。

父・信厚は祖父の信成に廃嫡され、叔父・信馨が跡を継いでいた。しかし文化9年(1812年)に重馨が死去すると、信馨の長男・信発の早世や五男・信由の幼少などもあって、信義が信馨の養子として家督を継いだ。

文化11年(1814年)に対馬守に叙任され、文化13年(1816年)に奏者番に任じられた。文政12年(1829年)7月5日、従弟で養子の信由に家督を譲って隠居し、天保14年(1843年)12月25日に死去した。享年60(満58歳没)。

系譜

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父母

正室、継室

養子